終戦前後の地図・航空測量史
(1)終戦後伊勢丹デパートで米軍が地図を作っていた!!
〔その2〕
@ 部隊名の名称は? | |
伊勢丹を接収した部隊の正式名称は The 64th Engineer Base Topographic Battalion と呼ばれる地図作成部隊でした。 この部隊名の日本訳は色々あり、どれが正解という事ではない様です。以下に各種の資料に記載されている名称を記してみます。 1.第64工兵大隊測量隊 【外務省告示名称】(占領下の東京より) 1.第64地形技術大隊 【衆議院議事録 第034回国会 日米安全保障条約等特別委員会 第24号より】 1.米陸軍米国工兵64大隊34基地写真測量中隊 「空中写真の世界」 西尾元充著より 1.第64工兵基地測量大隊 (新宿区HP)より 1.米極東陸軍64工兵大隊 【パシフイック航業・20年の歩み】 それぞれの資料で若干の呼び方で相違がありますが、工兵隊である事は間違いないので第64工兵大隊の訳までは問題なしで、「Topographic」をどう訳すかなのですが同じ工兵大隊で 「Survey」 大隊があるので測量と訳すのは区分上出来ないので、地誌または地形と直訳するのが良いのではないかと考え、私は「第64工兵地形大隊」と記載していきたいとします。 |
撮影した航空写真を並べ標定作業している米工兵隊員 (昭和27年7月15日 伊勢丹ビル内で撮影) 【「占領下の東京」 佐藤洋一著 河出書房新社 平成18年7月30日発行 横浜市立図書館蔵より】 伊勢丹に駐留していた「第64工兵地形大隊」の写真はさすがに実戦部隊である為、内部写真はあまり無いのはしかたのない事なのでしょうか?上記の写真は貴重な写真の一枚なのです。 |
AMS-FE発行の”地図編集用語辞典” |
AMS-FE発行の”地図編集用語辞典”の記載より 第64工兵地形大隊が後に王子に移転して極東米国陸軍地図局(AMS-FE)に移行した。そこに昭和29年日本人技術者として勤務されていた田中良雄氏が所有していた昭和26年に極東米軍総司令部工兵司令部が刊行した事典に記載されている。(昭和34年改訂版) それによると「Topographic」には「地形」と書かれています。やはり「第64工兵地形大隊」と翻訳するのが妥当だと思われます。 |
A 進駐軍での位置関係 | |
地図関係のGHQの組織構造 | |
GHQの組織は上記表に記載した様に米国太平洋軍と呼ばれる軍隊組織と、連合国軍最高司令官総司令部として通称GHQと呼ばれる占領行政を司る組織が両立した二重構造になっていたのです。 「第64工兵地形大隊」は米国太平洋陸軍の第8軍傘下に所属する工兵隊部隊の一下部部隊だったのです。人員は何人位であったかは不明ですが、大隊規模からすると500人位の兵隊がいたのではないかと想像できるのではないでしょうか?また何処から来たかは別に章を設けて記載するつもりです。 また軍隊組織上では幕僚部(民間会社に例えると本社)の技術部(工兵部と訳しても良いのではないか?)の指示系統に属し管理・監督されていた様です。 そして日本の地理調査所(旧陸地測量部)は技術部の主任工兵監室に直接管理される事となったとの事です。 【出展資料】地理調査所は米軍のO.C.E.の直轄となる。 O.C.E.:Office of Chief Engineer (主任工兵監室) 【測量 古代から現代まで 武田道治著 古今書院 昭和54年7月11日発行に記載有】 |
1946年(昭和21年)9月 米軍発行 東京地区GHQ組織の電話帳表紙 |
【GHQ】(幕僚部) 【TOKYO AREA】(部隊) 〔東京地区GHQ組織の電話帳より〕 |
【Tokyo Telephone Directory , September 1946 (GHQ部内電話帳)より 】 連合軍占領部隊駐留一覧 ENGINEER OFFICE 〔技術部〕 123 Engineer Survey Bn〔第123工兵測量大隊〕 TRANS IT |