横浜と鉄道

(2) 京浜急行「仲木戸駅」の謎!!



土盛り高架線上にある仲木戸駅!!

謎その1   平坦地になぜ高架駅?
横浜駅(地上駅)を発車した電車は神奈川駅を出てしばらくすると徐々に登り勾配になり、土盛り高架駅の「仲木戸駅」に到着する。
「仲木戸駅」をまた発車すると直ぐに今度は徐々に下り坂を降りる様にして神奈川新町駅(地上駅)に到着する。そしてこの先、電車は延々と地上線を京浜鶴見駅へと続いているのです。要するにここだけがかなり昔から高架となっているのです。
謎解き (その1)   開通当初は地上駅だった!!


【拡大図】

明治39年測図 1/2万地形図「神奈川」
陸地測量部発行
京浜電気鉄道が神奈川駅まで開通したのは明治38年12月24日でした。
「仲木戸駅」の開業日もこの日です。ただし当初は「木戸駅」だったそうですが、いつ変更したかは不明だそうです。
上の地形図は開通して間がない明治39年の測量図です。

この地図にははっきりと平坦な土地を路線が通っていた事が記録されています。(大変貴重な地図ですね!)
またどの様な訳か道路との交差部分に駅があった様ですね!?
(まあ当時の電車は一両の路面電車と同じですからね、おかしくはありませんが!!)

地図を良く見ると、この当時は東海道線には東神奈川駅が無いではありませんか。
そうです、東神奈川駅が開業するのは地図右上にハシゴの様な記号になっている建設中の横浜鉄道(現在のJR横浜線)が開通する明治41年9月23日なのでした。

実は後に「仲木戸駅」が高架駅になる前兆がこの地図上にあるのです。
今では東神奈川駅が大きな顔をして先輩格の様に見えますが、実は仲木戸駅の方が3年あまりも先輩の駅なのでした。
謎解き (その2)    あれ盛土の上に駅があるよ!!


大正11年測図 1/1万地形図「神奈川」
参謀本部陸地測量部 

【明治前期・昭和前期 横浜都市地図
柏書房株ュ行】より


昭和6年測図 1/1万地形図「神奈川」
参謀本部陸地測量部 

【明治前期・昭和前期 横浜都市地図
柏書房株ュ行】より
横浜鉄道の一番の設立目的は、甲州・信州・上州などの生糸産地から最短距離で輸出港である横浜とを結ぶ事であったのです。そして明治41年9月23日に横浜鉄道(八王子⇔東神奈川)は開通しました。

しかし直接港まで生糸を運ぶ為に、東神奈川から港までの路線を引くことは当初から計画されていた様です。
そして明治43年7月15日に横浜鉄道の貨物線として、東神奈川駅の手前より分岐して海神奈川貨物駅まで路線が延長されました。

その折どうしても避けられないのは、既に開通していた京浜電鉄との立体交差の事でした。
当然後から作られる横浜鉄道が、すでに地上を走っている京浜電鉄の上を高架線で交差する事となるはずなのだが、当時の法律にしたがった為京浜電鉄が、わざわざ地上線から高架線に変更しなければならなかったのだそうです。

京浜電鉄は「軌道法」という法律に基づいて設立された会社で、一方横浜鉄道は「地方鉄道法」という法律に基づいて設立された会社でした。
「地方鉄道法」と「軌道法」の区別というのは、”鉄道”は原則として道路に敷設してはならないのに対し、”軌道”は特別の理由がない限り道路に敷設するというのが原則だったそうです。

”軌道”と”鉄道”が交差する場合は”軌道”の方が回避措置をしなければならない義務があったそうです。
要するに鉄道の方が格が上だと言う事ででしょうね!!
(泣くに泣けないとはこの事ですね。真に理不尽な法律があったものです!!)

その結果
京浜電鉄がわざわざ地上線を盛土して高架とし(この記載は間違い下記新聞記事参照)、「仲木戸駅」も盛土上の駅となったのでした。
   工事は横浜鉄道椛、が施工した!!

右の新聞記事をよると仲木戸の高架工事の施工は京浜電鉄ではなく、横浜鉄道側が施工したことが書かれている。レンガ積み・土工・軌道布設までを横浜鉄道が担当し、京浜電鉄側はその後の電線工事のみを行ったことが記載されている。

上記に記載した京浜電鉄が施工したとの記載は誤りでした。”軌道”と”鉄道”が交差す場合は”軌道”の方が回避措置を行うものであるものの、工事(お金)は後から横断する鉄道側が担当した事がこの新聞記事で確認する事が出来ました。

ここでも当時の新聞記事が、事実の解明に貴重な証人となる事を証明してくれました。

(なお高架線の開通は8月中旬だった様です)


横浜貿易新報 明治43年6月9日付け記事


イギリス積みと云われるレンガの横と縦とを
一段毎に置きながら並べて行く積み方です
明治の初期はフランス積みだったそうですが、
その後はこのイギリス積みが
主流になったそうです。

赤レンガ倉庫が建設された時期(明治44年完成)とほぼ同じで、積み方も同じだそうです。


旧横浜鉄道との交差部のレンガ積み橋脚です
現役として利用されているレンガ造りの非常に貴重な
土木構造物ではないでしょうか?

さすがに現存する最古の電気鉄道の会社だけ
の事はありますね!!


1/1万地形図「新子安」  平成6年修正
国土地理院発行


@ 神奈川駅側から仲木戸駅方向を望む

盛土にススキが生茂り
風情をかもし出していました。
横浜鉄道の貨物線が無かったら
今もここを地上線として走っていたのでしょうか?


A 仲木戸駅と横浜鉄道の交差部から
神奈川新町駅方向を望む


横断歩道のところを横浜鉄道の貨物線が
走っていたのでした。
レンガ積みの橋脚の周りはコンクリートで
補強されているのがわかります。
レンガ積みを取壊さないで残した京浜急行の対応に
拍手
したいですね!!


B 右写真と同じく仲木戸駅の下りホームから
神奈川駅方向を望む。


ビルが林立して高島台の山は望む事が
出来なくなってしまいました。


昭和8年の仲木戸駅から神奈川駅の
方向を写した写真
(後の山は高島台です)

わが町の昔と今 第三巻 神奈川区編
「とうよこ沿線」編集室 発行より

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