横浜と鉄道

(2) 京浜急行「仲木戸駅」の謎!!

謎・その2   この橋は何だ?
下の地図を見てください。仲木戸駅のホームの脇から橋記号(赤丸の所)があるではありませんか!!

こんな所に橋があったなんて本当かなと考えてしまいました。
緊急報告!!    橋の写っている航空写真を発見!!


昭和21年3月9日 米軍撮影 縮尺:約1/1万
【横浜市中央図書館所蔵・航空写真集より】
この写真は横浜市中央図書館の”情報検索講座”に参加した折、終戦直後に米軍が撮影した航空写真が展示されていたものです。

なんと戦後までこの陸橋が使用されていたとは思ってもいませんでした。また航空写真に記録されていたとは大変驚きました。貴重な歴史的記録写真ですね!!

昭和20年5月29日の横浜大空襲の時にこの陸橋も破壊されたのではと考えていたのですが、この写真が撮影された日が昭和21年3月と記録されているので、下記に記されている様に昭和32年7月現在使用されている地下道が完成するまでは使用されていたのでしょう。

下の地形図と見比べて見てください!!
謎解き (その1)   駅舎は盛土上にあった!!


大正11年測図 1/1万地形図「神奈川」
参謀本部陸地測量部 

【明治前期・昭和前期 横浜都市地図
柏書房株ュ行】より
明治43年7月15日に盛土高架化されて高架上の駅になった「仲木戸駅」になぜ橋が架かっていなければならないのか、はなはだ不思議に思ったものでした。

高架上の駅は当然ホームから階段で地上に降りて改札口がある形式になっているものと思っていたのです。
実際につい最近までの「仲木戸駅」もその様に地上に改札口がある形式になっていましたね。

そんな時、吉川文夫著「京浜急行電車と駅の物語」(多摩川新聞社刊)に下記の様な記載がある事を発見して謎が解けたのでした。

【昭和32年4月8日夕方国鉄東神奈川駅附近の簡易宿泊所から出火した火災で仲木戸駅も類焼し、駅舎は全焼、上りの上屋も焼けてしまった。その為同年7月には構内踏切を廃止、地下道を新設、駅舎も築堤の下におろした駅として復旧した。】

構内に踏切があった事の記載がありますね!
実は「仲木戸駅」は盛土上に駅舎があったのです!!!
    昭和10年頃と思われる「仲木戸駅」です

この地図にはホームの形状もはっきりと記載されていますね。盛土上に無壁舎の記号で表記されています。ホームの長さは約30mです。2両編成の電車が停車できる長さですね。この無壁舎記号が屋根があった事を表示しているのか、ホームの記号として使われているかは不明です。

ホームから出るとすぐ北側に橋が掛けられているのが解ります。その橋の両側には橋を支える三角形の被覆記号がハッキリと表示されています。この被覆部分が下の写真に現在も残っている事が解ります。 橋を渡ると盛土の勾配を徐々に下げて東神奈川駅に通じています。       

駅舎を出て南側折れるとすぐに線路を渡る踏切となっている。踏切を渡ると直ぐに盛土に沿って勾配を下げて海側の道に通じています。 

昭和11年12月25日から急行運転開始され、この狭い盛土上に現在の南太田駅の様な中央に通過専用線を持つ駅だったなどとは想像つきませんね。
(この状態が昭和20年5月29日の横浜大空襲まで続いたそうです)


吉川文夫著「京浜急行電車と駅の物語」と吉本尚著「京急ダイヤ100年史」参照


1/5000 横浜市地形図 「神奈川」

【明治前期・昭和前期 横浜都市地図
柏書房株ュ行】より

この地図は昭和28年に発行されて地形図で、
戦前に測量されたと思われる
1/3000図を縮小編纂したものです。
謎解き (その2)   今も橋の形跡があった!!
          「仲木戸駅」側の橋脚跡

駅側の橋脚がのっていたと思われる扇状の石積みを見る事が出来ます。道路は当時より拡幅されているようです。

地形図を見てここに橋があった事が頭になかったら、きっと見落としていた事でしょう。 

これ程はっきりと形状が残っているとは夢にも思っていませんでした。

この写真は下図のA地点から矢印方向に「仲木戸駅」を撮影したものです。
         「仲木戸駅」側の橋脚跡 
             (拡大写真)

Uの字型に窪んでいる形状の石が3箇所写っていますが、きっとこの部分が橋を支える橋桁だったのではないかと思われます。

この当時はコンクリート造りの橋ではなく、石橋ではなかったかと思われます。地形図の橋記号の凡例がないのでハッキリした事は言えませんが、たぶんこの橋記号は石橋だと思います。

かなり貴重な文化遺産ではありませんか!!


横浜市都市計画局都心部整備課
「東神奈川駅東口地区市街地再開発事業」の
ホームページより


JRの「東神奈川駅」との連絡デッキから
新装なった京急「仲木戸駅」を望む
上記の再開発事業計画図によると、横浜鉄道の線路跡地は将来東海道線を横断して京急の下を通って県道の横浜・上麻生線が出来る事になっているようです。

やっとここの廃線跡も第二のお役に立つ事が出来る時がやってきそうで、無理矢理に高架線にさせられた京浜急行としても、高架にした事が役に立つ事ができて良かった事でしょう!!
「東神奈川駅東口地区市街地再開発事業」によってJRの「東神奈川駅」と京急「仲木戸駅」の間を道路・駅前広場を跨いでデッキで直接連絡出来る様になりました。

また94年前の盛土上にあった「仲木戸駅」に少しだけ戻って半高架式の駅舎になりました

「鉄道の箱」に戻る

「横浜と鉄道2」・謎その1に戻る

「横浜と鉄道2」・謎その3へ

トップページに戻る

inserted by FC2 system