横浜と鉄道

(1) 実は京急・黄金町駅辺りは国鉄が走る予定だった!!


京浜急行の上り電車から黄金町駅を望む
ここをJRの電車が走っていたかもね!!

                          
                     国鉄(今のJR)が蒔田に?!


先年、図書館で区政10周年記念「港南区の歴史」を読んでいたところ、”湘南電鉄の誕生”についての章で湘南電鉄の当初の計画(大正6年に免許申請)では鉄道の起点は蒔田町(現在横浜市南区)で、当時鉄道省(今のJR)が桜木町より横浜市内をを通り抜け、保土ヶ谷へ通じる電車路線の敷設を計画し、蒔田町に停車場を予定していた・・・・・・との記載があり、興奮を感じながら読んだ事を思い出します。

現在の横浜以南は湘南電鉄であった事は知っていましたが、当初の計画で蒔田町に国鉄線が走り駅まで出来る事になっていたとは!!謎めいた話に、この事に関してについて少し調べてみようと思いたちました。



                      幻の国鉄市内縦貫線

他にもっと詳しい資料はないかと鉄道関係や郷土資料などを探してみましてが、この事に関しては疑問を一気に解決させてくれる様な資料には出会いないでいました。
偶然、唯一幻の国鉄市内縦貫線の形状が書かれている図面を発見する事が出来たのが、下図の湘南電気鉄道株式会社の株式募集用案内書類に載っていた計画路線図でした。





”国鉄蒔田駅”がありますね!!






横浜市図書館蔵
湘南電気鉄道株式会社株式募集パンフレットより
〔作成年度は不明との事〕
(注)ただし程ヶ谷駅に接続させる事が確定している段階の図なので多分関東大震災直前の大正10年位ではないかと思われます。



                 なぜ程ヶ谷駅までの短い路線なのでしょう?

上図を見ると国鉄の延長線は桜木町駅を出て大岡川沿いに蒔田まで南下し、蒔田で急に西に折れ程ヶ谷駅に接続する、総延長約5Km位の路線である事が判りました。なんでこの様な短い区間の鉄道を計画したのでしょうか?

この国鉄市内縦貫線の歴史を追って見たところ、どうもスタートは初代横浜駅(現桜木町駅)の移転(廃止も含む)問題に端を発していたのではないかと思われます。

大正4年に2代目横浜駅が開業し東京駅〜横浜駅間複々線と同時に一複線分を電化し、その電車(院電)を東京駅〜桜木町駅間に開設しました。
鉄道院としてはその院電を将来的に桜木町から先まで延長する事を視野に入れていたのと考えられます。
詳しくは順次書いていきたいと思っています。

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