「横浜貿易新報」に見る横浜関連鉄道記事ファイル
国鉄編(1)

〔明治39年〜明治40年〕

【注】 
→記事見出し ・  →ハマちゃんの感想

年号                           国有鉄道 
明治 39 3 20 官線時間大改正

鉄道作業局にては愈々来る四月十を以って、東海道線の列車運転時間を改正実施し、同時に最大急行及び三等急行の新列車の運転を開始する由なるが、現今新橋駅発着列車の数は上下四十八回なるも、改正後は一躍六十八回の多数となる由にて、内十二回は平沼駅を経由し、五十四回は横浜駅に止まり若しくは通過するものなり。
 【横浜貿易新報の記事より】

(横浜駅を通らないで平沼駅経由の列車は上下十二回だけであった)
明治 39 3 30 鉄道院の設置に就いて

政府は鉄国案の議会を通過すれば鉄道院を設置すべき計画の由なるが、鉄道会議員某氏の談によれば政府は早急鉄道院設置はなさざるべく兎に角私設鉄道買収着手後にあらざえれば、実際買収に従事さられざるべければ、同院設置は早くも九月以後にあらざれば其の実施を見ざるべしと言う。
 【横浜貿易新報の記事より】

(鉄道の国有化時点で鉄道院が作られた)
明治 39 4 7 最大急行列車

官設東海道線に於いて来る十六日より実施する最大急行列車(新橋神戸間十三時間四十分)の停車駅は上下列車とも途中平沼・国府津・山北・沼津・静岡・浜松・豊橋・名古屋・大垣・米原・馬場・京都・大坂・三ノ宮の十四駅にして其の発着時間左記の如し。(後略)
 【横浜貿易新報の記事より】

(特急列車ではなくこの当時は急行の中で最大級の早い列車の事なのだろう!!)
明治 39 6 23 官鉄横須賀線延長請願

官設鉄道横須賀線を浦賀港迄延長せいめられ度き旨、町会の決議に基づき浦賀町長より請願ありたるに対し、本県庁に於いては一応詮議の上更に主務省へ稟請の都合なるが、近時横須賀豊島町に於ける人口の漸う増加すると共に、其の勢いは浦賀方面に及ぼし殊に浦賀港は船渠会社に従事する職工のみにても其の数約二千五百余名に達し居りて、日一日と繁盛を加えつつあり。然も附近各地の観音崎砲台を始め、其の他幾多砲台に次いでは要塞射撃学校等の在るあり、又幾多の出入船舶は東京を始め三崎或は房総よりするもの激増の傾向を示し居れるにも拘らず、横須賀間との交通機関は馬車人力車荷積馬車等のみにて、其の輸送力の欠乏は当事者の頗る遺憾とする処にして、これら輸送機関の設備は直ちに該地方附近住民の渇望する処たるに止まらず、三浦半島の繁栄消長に一大影響を及ばすものなりとて、この度其の出願に及びたる次第なりとの事なるが、特に同半島に於ける久里浜のペルリ記念碑の如き乃至は上浦海岸の風光を賞観する内外人の増加の傾向あるも付けても該線路の延長は刻下必要の処置なるべし。
 【横浜貿易新報の社説的記事より】

(横須賀線を浦賀に延長との請願もあったようです)
明治 39 7 14 横須賀浦賀間鉄道延長請願に就いて

県下浦賀町より現在の横須賀線を更に浦賀迄延長せられたき旨其の筋に請願したる旨先頃の紙上に報ずる処ありしが右に付き本県にても種々調査の結果一昨日堀内三部長は鉄道局に出頭して右に関し懇談する所ありたる由なるが、聞くところによれば同局にても浦賀町民の意向は可とするも、鉄道局としては全国中尚一層急を要する処あり、且つ現時の鉄道財政にては殆どその余裕なく、特に該延長線路は先に仮免状を交付したる相海鉄道会社(横浜より金沢浦賀三崎等に通じる鉄道)の予定線路に当たり居れば方々今日の処、未だ具体的に鉄道局の意向を定むる能はずと云うにありし由
 【横浜貿易新報の社説的記事より】

(この時期鉄道財政悪化で官設鉄道の延長は実現は無理のようであったのでしょう)
明治 39 9 8 横浜港の海陸連絡  明年末に之を見るべし

(前略)鉄道作業局にては過般来横浜停車場と件の新埋立地とを連絡する設計を立て、その設計によるは横浜停車場構内より起こりて、複線の鉄道を布くべき突堤を作り大岡川口に於いて長百尺の鉄橋を架して、舟其の出入に便し、それより又突堤を築設し御用邸前面なる商品倉庫に面する辺りよりの所に又長百尺の鉄橋を架して船舶の往来に便し、更に突堤を築設して新埋立地に連絡し(新埋立地に接したる場所にも尚長さ三十間の小鉄橋を架し小船の往来に便す)総て復線の鉄道線路を敷きて、新埋立地係船岸より鉄道停車場に直ちに貨物を運搬する装置を備える筈にて、其完成は来年末を期し既に測量に着手せりと言えば、来年末には海陸連絡の道立ちて既成第一係船岸の効用を大いに顕すに至るべしと云う。
 【横浜貿易新報の社説的記事より】

(今の汽車道の事である。御用邸とあるが知らなかった!?)
明治 40 2 9 横須賀線延長請願の不成立

昨年中本県庁の手を経て出願に及びたる横須賀線を延長して浦賀に達する件(中略)詮議なり難き旨を以って不結果に終わりたるが請願者一部に於いては時機を見て再願せんとて協議をなしたる由。
 【横浜貿易新報の社説的記事より】

(横須賀線を浦賀に延長の話があったのだ!)
明治 40 3 30 政府の電鉄計画

逓信省にては東海道駅其の他の電鉄計画に関し、目下種種調査中なるが先ずその第一着手として本年度中に山手線に実行さるべき予定の由にて、其の計画は発電所の関係等ある為、秘密に附しあれども現在の甲武線の如く電気及び蒸気を併用するにあたるべしとなり。
 【横浜貿易新報の社説的記事より】

(官線の電化計画がはじめて計画された)
明治 40 4 7 官鉄電車併用

鉄道庁にては山手線全部及び横浜・国府津間に於いて電車を併用運転せしむる計画にて、目下調査中なるが同庁に於ける調査の大要は山手線即ち新橋・上野に一周する全線に於いては現今運転せる蒸気旅客列車を全廃し、現在線路に於いて電車を運転せしめ、旅客交通に資し蒸気列車は貨物運搬に専用する筈。又横浜・国府津間は調査後にあらざれば不明なるも、蒸気列車と電車との併用は殆ど不可能に属するものにして、電車を運転せしむるとせば新たに一線若しくは二線を敷設せざるべからざるに至るべしと云う。
 【横浜貿易新報の記事より】

(横浜以西も線路増設との事)
明治 40 8 29 電車併用設備困難

官鉄電車併用の件は既に大体の設計終り、目下主として事実問題に就き調査研究中なるが、茲に最も困難を感じ居るは新橋停車場内に於ける設備にして、同停車場は現在東海道上下線並びに元日鉄線の引入れあり、近来旅客貨物の増加は汽車発着の回数を増加し、尚すこぶる狭隘を感じ居り拡張を行はんとするは、現在より以上に拡張すべき敷地なくすこぶる困難し居る際にして、之に電車を併用して五分毎に発着せしめんとするは到底可し能はざる事にして当局者も之が設備には目下すこぶる苦心中なりという。
 【横浜貿易新報の社説的記事より】

(この時点では新橋駅〔後の汐留駅〕を使って電車運転する予定であったのか?)

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