地図はタイムカプセル 

(1) 120年前(明治15年)の横浜・上大岡へGO!!

ハマちゃんの地元・上大岡は現在は横浜市の副都心と呼ばれていますが、
その昔は田んぼや畑が散在する田舎の寒村に過ぎなかったのですね!!
それでもよ〜く地図を良く見てみて下さい120年前の形状が残っている所が、
今でもそこかしこに見つける事が出来るので〜す!!

発見出来ると、感激ですよ!!
(そんな事思うのはハマちゃんだけかな?)

画面にマウスポインターを持って行ってみて下さい!!

【資料出展元】

1.国土地理院発行     1/1万地形図 上大岡   (平成7年修正)
2.日本地図センター発行 1/2万地形図 上大岡村 (明治15年測量)
  (陸軍参謀本部測量・1/2万迅速図原図復刻版)を使用)
 各地形図の一部を掲載させていただいています。
(また1/2万迅速図は1/1万に拡大して表示してあります)



それではハマちゃんの見つけた
120年前の形跡を現在の写真
で見てみましょう!!
〔番号をクリックして下さい〕
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18
昔の道路ハッキリ!!
道路のクランクの形状が明瞭に残っている所です。

この道路は大岡川沿いの自然堤防上の微高地にある畑地上に走ってのが地形図を見ると解ると思います。
農作業用の道路だったのでしょう。

他の集落が川の近くには無いの、ここに何軒かの農家が有る事で、水害には遭いにくい所なのでしょう。

昔の人はちゃんとその様な所を選んで住んでいたのですね。

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 鎌倉古道
この山裾を通る道は中世頃の鎌倉古道だそうです。
ここでも道は水田の中を通らず、山裾の少し水田より高い所を通っているのが地図からも読み取れますね。

ここの場所が写っている古い写真があります。
周り一面が水田や畑だったのですね!!

遠くに京浜急行の盛土した線路が見えます。
あまりはっきり見えませんが!?

(大岡川鉄橋から弘明寺よりが見えてますよ!!)

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癒しの場所
地図の北方向にある小道が、右の写真のブロック塀とフェンスに挟まれた道になり、辛うじて確認できる名残です。

つい2年前にはその小道の横は畑や森があって、
上大岡駅近くでは随一昔の面影が残っていた所で、私の隠れ癒しの場所だったのです!!

今では右の写真の様にマンションに変身してしまったのが残念です。

この様に上大岡周辺の斜面の森林がどんどんとマンションになってしまい、環境破壊が進んでいます!!できれば残してもらいたいですね。

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 庚申塔
鎌倉古道沿いに残っている、庚申塔です。
塀の後ろは墓地になっています。120年前の地図にも記載されていますね。

今でも地元の人によっていつも花が絶えない、歴史の連続性を感じられ、その中に今の我々が生きているんだな〜と思わせる、とても重要な町のランドマークであり、宝なのですね!!

なんでも壊してから造る今の開発行為は間違っています。古いものを生かした街づくりが必要ですね!

いつまでも大事にしていきたいですね。

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   亜炭
ここは鎌倉古道沿いにある山の中腹にある千手院幼稚園です。

なぜここが出てくるかと言うと、実はこの辺りに明治末期から大正時代にかけて、なんとここで”亜炭”と呼ばれる質の悪い石炭が採炭されていたと言う事実なのです!!
千手院は関東大震災まではこの場所には無くて、上記の地図の3番の左に卍マークが書かれている所にあったのだそうです。

大震災で倒壊しこの炭鉱跡に移転して来たのでしょう。

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            尾根筋の道

この階段道も120年前からの道ですね!!

尾根筋に登って行く細い道の形状が、良く残っている所です。

今は階段になっていますが、その当時は坂道であったのでしょう。かなり登りがキツイ勾配ですよ。

当然車は通れません。ハマちゃんはこの階段で車を気にしないで筋トレに利用しています。

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青木神社
この神社は大岡川対岸(久保村)にあったが洪水で地すべりがあった為、今ある上大岡側になったと言われているそうです。

その為青木神社久保村・最戸村の鎮守さまであって、上大岡村のではありません。上大岡村の鎮守さまは後から出てくる鹿島神社です。

創立年代ははっきりしないそうです。150年前の地図にもはっきりと神社名とその隣の道が描かれていますね!!

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    旧鎌倉街道と境界石
旧鎌倉街道沿いの古い商家で、今はマンションになってしましました。

かなり歴史のありそうなお店ではなかったのではないかと想像できます。

この写真の中央下・道路際にデッパリがあるのに気が付きますか?
これが明治時代の道路と民家との境界石です。

今はかろうじて石の表面が少し見えるだけです。

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 かなさわ道と鎌倉街道の分岐点
150年前の地図にはここで道路の分岐はありませんでした。

ここの辺りは”かなさわ道”が大きく蛇行する笹下川を避ける様にカーブしていて、分岐点ではありませんでした。この当時の鎌倉街道との分岐点はこの地図の12番の地点でした。
大正10年測量の1/2.5地形図ではここの分岐部分が記載されています。(今から85年前)

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10              岡本橋

笹下川に架かる岡本橋です。

江戸時代からの”かなさわ道”から分かれた”鎌倉街道”の橋なのです。

橋名の由来は上大岡村と松本村を結ぶ橋という事で岡本橋となったと事です。

現在の橋は昭和36年の大洪水の後、昭和37年に架け替えられた橋だそうです。

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11
  川を挟んで港南中学校!?
新旧の地図を見て気が付いた方もいるでしょうが、
120年前の地図では水田で、用地の中を川が流れているではないでしょうか!!

実は昭和24年に学校が出来た時は校地の真中を幅5m・長さ300m・深さ10mに亘って日野川が流れ、教室移動の度に生徒達は校庭内に架かっていた橋を渡っていたのだそうでした。

あまりにも不便・危険であった為昭和26年に河川改修して現在の形状になったそうです。

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12   ”かなさわ道”と”かまくら道”の分岐点

ここが当時の金沢八景方面に行く道と、鎌倉方面に行く道の分かれ道となっていた所です。

この写真の写っている部分が、120年前の地図の附属絵として、残っているのです。

地図上で(イ)と書かれている所の風景画
が地図の原図の下に描かれているのです。

道路の周りは畑で実にのどかな景色が描かれています。

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13        溜め池後の土手で〜す!!

水田の灌漑用水の為に溜め池が造られ、その”えん堤”が今でもはっきり形状が残っています。

写真の左の低い所が水田になっていて、右の今家が建っている所に溜め池があったのでした。

記録によると”三田歩の池”と呼ばれていたそうです。

きっとその当時はこの土手から上大岡一帯の水田が広がっている景色が見られたことでしょう。
今では家が林立し時の流れを感じさせますね。

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14          鹿島神社となぞの病院

大木の緑に包まれた丘の上に鹿島神社があります。この神社が上大岡村の鎮守様です。

創立年代はハッキリしないそうですが、建久2年(1191年)の記載があるそうです。
800年前からあったのですね!!

ところで大正10年の地形図に神社のすぐ横に病院記号が書かれています。
こんなへんぴな所にあるんでしょうか、不思議ですね?

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15         名主・北見家の門構え

森道から一段高い(約1.2m位)所に立派な石垣の上に上大岡村の名主である北見家のお屋敷があります。

この辺りが上大岡村の集落の集まっている所です。
水田と山林との間の緩傾斜地で水はけの良い所に家が建てられており、実に自然の理にかなった土地利用ですね。

上大岡村の領主は旗本倉橋氏と荒川氏(天領・つまり幕府直轄地))だったそうで、北見氏の領主が橋倉氏だったとの事。
上大岡村の戸数は江戸末期(慶応3年)1867年で50戸で人口273人だそうです。

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16      森道から上大岡駅を望む

丘陵地の裾を地形に沿って通っている森道から高層ビルが林立している現在の上大岡駅周辺です。

120年前は道路の左側は一面に水田が広がっており、右側は樹木に囲まれた上大岡村の集落が見られたことでしょう。

京浜急行(開業時は湘南電気鉄道)が上大岡を通っていなかったら今の繁栄は無かったのでしょう。

実は最初の鉄道計画では上大岡を通らない事になっていたそうです。

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17       道路?実は水路だったのだ

富士スーパー裏の曲がりくねった路地です。何でこの様に曲がっている必要があったのでしょうか?

今はこの様に道路のなっていますが、実は120年前の地図によるとここは水が流れていた用水路だったのです。曲がる必要性は地形の傾斜に沿って水が流れる様にした為でした。(等高線の原理と同じ)

微妙な地形の高低差を実に見事に利用して作られているんですね。

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18        上大岡駅裏に道祖神

駅東口を出ると直ぐ右に、”異次元の空間”が目に入ってきます。駅ビルとの新旧コントラストがとても良いハーモニーを感じさせてくれます。

ここには小さな祠・庚申塔・そして天保14年の馬頭観音等が整然と並んでいます。上大岡村の歴史を見て取れます。

この道祖神は湘南電気鉄道が出来る時に、駅用地にかかってしまい道路と一緒に今の位置に移されたそうです。

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