終戦前後の地図・航空測量史
(3)東京進駐以前の第64工兵地形大隊
〔オリンピック作戦用戦術地図「種子島の1/2.5万地図」〕
@驚異の地図内容
@ RYUKYU-RETTO 1:25.000 「SHIMAMA NE」との出会い! | |
RYUKYU-RETTO 1:25.000 「SHIMAMA NE」 (表面) 【原本は東京都北区立中央図書館蔵 (稲葉朝成家寄託)】 |
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RYUKYU-RETTO PHOTO MAP 1:25.000 「SHIMAMA NE」 (裏面) 【原本は東京都北区立中央図書館蔵 (稲葉朝成家寄託)】 |
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旧AMS-FE総本部建物へ行く! 平成19年春に米陸軍極東地図局(AMS-FE)の総本部建物であった東京都北区十条台の現在北区文化センターを見学に行きました。 その時文化センター内にある地区図書館で何かAMS-FE関係の資料があるのではないかと期待して行ったのですが、係りの人に聞きましたところその様な資料などは一切ないとの事でした。 仕方がなく内部や外観の写真を撮影し、王子駅近くにある北区中央図書館に行ってみたのです。そこでまた郷土資料としAMS-FE関係の資料の存在確認しましたが、当時の北区役所と駐留米軍とのやり取りと記載した議事録があり、確かに米陸軍極東地図局がその中にやり取りの記載がありました。 しかしそれ以上の資料はなく、がっかりして帰ろうとしたところ係りの人が北区で今近代郷土史関係の資料を収集している部署があるので行ってみたらいかがですかと云う事で、紹介していただき早速そこから徒歩15分位の所にある北区行政資料センター(当時)にお伺いした事から、この地図との出会いが始まったのでした。 |
【旧米陸軍極東地図局(AMS-FE)総本部建物】 (現在北区中央公園内にある文化センターとして使用中) 米軍が接収以前・戦前は東京第一陸軍造兵廠本部事務所として使用されていた建物です。昭和5年(1930年)完成した建物で、昭和42年にAMS-FEが撤収後は王子野戦病院としてベトナム反戦運動の象徴とされていた時代もありました。 |
【昭和39年 東京 1/3万地図 AMS-FE発行 北区中央図書館「北区の部屋」蔵より】 (○部分の建物が上記の写真建物です。 またキャンプ王子と書かれている) |
北区行政資料センター(当時)で地図との出会い! 図書館から電話していただいたお陰で、直ぐに北区行政資料センター・資料専門員の黒川徳男氏にお会いする事が出来ました。 (注)黒川氏は現在北区中央図書館「北区の部屋」の専門員をされております。 米陸軍極東地図局(AMS-FE)関係の資料を探しているとお話しすると、寄託資料の中に米軍が作成した地図を三枚見せて頂き、その中にこの一枚があったのでした。 初めてこの地図を見た感じたのは”この様な地図を作った国とよくも戦争をしたものだ”と思ったものでした。以下にその驚きの内容を記してみました。 1.日本の地形図が1色刷りの時代に色彩に溢れた4色刷り の地図であった事。 2.裏面に写真地図が印刷されていた事。 3.両面の地図・写真図には共に方眼線が引かれ、特に地図には区画ごとに番号が記載され、さらにその中を5×5(25)区分し、A・B・C・・・と符号されていた事。 4.軍事関係者のみ使用また売買禁止等の記載があった事。 |
驚異の地図情報内容詳細! | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
驚きの方眼線システムと地図整飾! この地図を見て驚いたのは図面一面に書かれている方眼線とその中に書かれている数字とアルファベット文字でした。その次に驚かされたのは図郭外に書かれている「整飾」と言われる情報量の多さでした。 旧陸軍参謀本部陸地測量部発行の地形図には方眼線も無く、「整飾」に記載されている情報の殆んどは「符號」(現在の図式)と言われた地図記号についてであった。 この米軍地図が作戦用である事を別にしても、非常に丁寧に地図を使用する者に対して、必要かつ十分な地図内容についての情報を記載したものである。 ちなみに敗戦間際に日本の陸地測量部でも、米軍の本土上陸作戦用に上陸予定地域について、1/5万地形図に図上2Cm方眼線を書き入れた事があった。しかし当時長野県の梓川村に疎開中の陸地測量部で製図されていた下川正司さんのお話によると、その様な方眼線を入れた地図は戦局が悪化した頃から一部地域だけであったとの事で、一般に軍が使用していた地形図は販売されていたものと変わらなかったそうである。 |
【日本の方眼線地形図】 〔1/5万集成地形図 東京湾地域の横浜部分 昭和20年 参謀本部発行〕 〔市民グラフ ヨコハマ No.62 1988年 横浜市発行〕 |
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@ 米軍地図の驚異の地図整飾! | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
地図整飾は米軍で"MARGINAL DATA ”と呼ばれる 右記載の米陸軍極東地図局(AMS-FE)で日本人幹部職員が手書きで新入りの日本人技術員向け教本に、「MARGINAL DATA の使用法」について書かれた章があり、詳細に米軍地図の整飾について解説されている。 そこに次の様な地図整飾の目的についての記載があり。 「MARGINAL DATAとは日本では地図整飾と云っている。即ち欄外事項と英訳できる。 要するに地図が出来上がっていてもSHEET名もなくスケールも何も示さなければ、地図を読む上に用はなさないのである。そこで最初に必要なものは地図名であり、スケールであり何時測量されたか、どんな方法で又隣の図はと云う様に示さなければならないものが出て来る。 これを順序よく又体裁良く、分り易く整飾したものがMARGINAL DATAである。参謀本部の図は本当に必要なものだけで簡潔すぐる感がある。しかしAMSで使用しているMARGINAL DATAが非常に進歩しているもので、最近は日本でもこれを基本にしている。」 |
【MARGINAL DATA の使用法】 (米陸軍極東地図局作成 日本人技術員向け教本より これはAMSの標準の「STYLE SHEET」ついて まとめたもので昭和32年作成とある。 またその原資料は「AMS技術教書TM22」との記載あり) (北区中央図書館「北区の部屋」所蔵資料より) |
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【地図整飾の索引図】 番号をクリックしてください! 解説文を開く事ができます! |
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1. SERIEES NAME & SCALE (シリーズ名と縮尺) この地図”SHIMAMA NE”は米軍地図局(AMS)のシリーズ名として「琉球列島」と区分されている。与那国島から沖縄本島を含みこの種子島までの間の島々を一括して 「RYUKYU-RETTO」として区分していた。 米軍地図局(AMS)では日本全土は下記の様なシリーズ名で区分されていた。 1.HOKKAIDO (北海道) 2.NORTHERN HONSHU (北日本) 3.CENTRAL HONSHU (中央日本) 4.SOUTHERN HONSHU (南日本)※四国を含む 5.KYUSHU (九州) 6.RYUKYU-RETTO (琉球列島) |
2. SECURITY CLASSIFICATION (機密分類) 「戦争と海軍機関に限り使用し、売買・配布を禁止する」と記載されている。 どうして海軍だけ記載があるのか疑問である。この地図は陸軍・海兵隊等も使用する事となるであろうが? なお後年(昭和32年頃)の区分には下記の記載区分が書かれている。(上記AMS-FE教本を参照) 1.TOP SECKET (国家機密) 2.SECKET (機密) 3.CONFRDENTIAL (極秘) 4.RESTRITED (秘) |
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3. SHEET NAME (シートネーム) 「SHIMAMA NE」(島間北東部) 戦前種子島には陸地測量部の1/5万地形図は発行されていたが、1/2.5万地形図は発行されていなかった。当時1/5万地形図「島間」がありその図葉の東北部にあたる図面に相当します。 前章で記載した様に、当初米軍は旧陸地測量部発行の地形図を使用し地名のみ紫色のローマ字表記を追加した地図を使用していた。 その為か米軍の作成した地図も基本的には日本の旧陸地測量部の地形図図割と地図名称をそのまま使用し、図面の位置の相関性が持たせていた様である。 |
4. EDITION NUMBER (版番号) TYPE C-AMS1 「AMS1」がこの地図がAMSで初版である事を表している。 次に修正したり、改測して新しい地図が作成されると、AMS-2、AMS-3という様に、常に数値の大きな図面が新しい地図である事を表している。 「TYPE C」の意味合いは教本にも記載されておらず、推測ではありますが、作戦用戦術地図の事を表していりのではないかと思われます。(平時の地図には無い) その根拠として横浜市役所勤務・石黒徹氏が所有の昭和20年作成の米軍地図1/5万「YOKOHMA」の整飾に、「SHIMAMA NE」同じ「戦争と海軍機関に限り使用し、売買・配布を禁止する」の記載があり、また「TYPE C・AMC2」と書かれているそうです。 ※国会図書館所蔵米軍地図にはTYPE C地図は無い。 |
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5. PROTRACTOR SCALE (分度目盛り線) 地図下辺18000ヤードの箇所に○印と”P”が記載されている。この部分が分度器の基点となっていて、上辺の白部に0度線と5度〜9度間に15秒間隔の分度線が書かれている。 右記のRNOTOに分度目盛り線の解説が書かれている。 |
19. PROTRACTOR SCALE NOTO (分度目盛り線ノート) 「重要な数値を得る方法を図示する。 地図南辺のPポイントを中心として結ぶ磁北線を、地図の北辺に記入した分度目盛り線から、方眼北と磁北の間の角度値を測定する。」 「GRID NORTH」(方眼北)と書かれているが地図上に書かれている方眼線がちょうど真北から東に少しずれている事を表している様である。 なぜ方眼線が真北からずれているのか理由は不明である。 |
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18. DECLINATION DIAGRAM (磁針と北極との偏角図) MAGNETIC CHANGE NOTO (磁石の変動ノート) 「図面中央における方眼線地磁気の偏角はB地帯で西に2°04′または37マイルである」 「1945年における図面中心地磁気の偏角の近似値」 「その年の地磁気の変化は西方に1’である」 直訳してみたが何の事やら良く解らない。基本的には磁石が指す方向(磁北)は地図(経線)の北(真北)より6°15′西方にずれる事。またその度数は1945年に関しての数値である事。 日本で言う磁針偏差の事である。 方眼北については甚だ疑問な点があり今後の課題としたい。 |
6. SHEET NUMBAR (シート番号) 米軍地図局(AMS)の教本によると、下記の様な記載有。 1/10万以上の地図にSHEET NUMBERを付けるには地図を作る地域に対して任意に座標体系を作りそれを基にするのである。此の座標体系は緯度線と経度線で縦横の欄を作ったもので構成した各欄には次の要領で番号を付ける。 一つの基準となる様な点を定め全地域に亘って4桁の正の番号を付け、そのSERIESを将来拡張してもよい様な具合にする。此の番号の最初の2桁は行番号、後の2桁は段番号を表す。此の番号の読み方は地図座標を読む際の標準の読み方に従って行う。即ち左から右に、下から上へと読む。 この地図の「SHIMAMA」が1/5万シート番号4238-Uで、 1/2.5万シート「SHIMAMA NE」がシート番号4238-UNEとなる。 |
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7. SERIES NUMBER (シリーズ番号) EDITION NUMBER FIRST PRINTNG NOTE (版番号) (初印刷年) 米軍地図局(AMS)の教本によるとシリーズ番号について下記の様な記載有。 SERIES NUMBERは4つの要素の参照符号で、4つの数字、1つの文字と3つの数字(日本地区はこのパターン)、1つの文字と4つの数字からなる。 SERIESに文字が入る場合はREGION(地帯)の時である。 (日本地区はこのパターン) Lは極東地区(中国・台湾以東)を表すアルファベットの様である。 第2番目の数字はSERIESの縮尺区分を示す。 5→ 1/25万 6→ 1/10万 7→ 1/5万 8→ 1/2.5万 9→ 1/1.2500 |
第3番目の数字はそのSERIESが入るSUB-REGION(下位地帯)を示すものである。〔※時代により変更される〕 (※ この区分は終戦前後のAMSにおける区分です) 4→ 旧満州 5→ 朝鮮 6→ 北海道以北千島列島及び南樺太 (NORTHERN JAPAN) 7→ 本州以南九州までの日本 (CENTRAL JAPAN) 8→ 中国 9→ 台湾と琉球列島 (TAIWAN&RYUKYU-RETTO) 第4番目の数字は下位地帯を更に小区分した地域番号 (※ 下記番号は1/5万の地域名とシリーズ番号) 1.HOKKAIDO (北海道) 5(L765) 2.NORTHERN HONSHU (北本州) 3(L773) 3.CENTRAL HONSHU (中央本州) 4 (L774) 4.SOUTHERN HONSHU (南本州) 5(L775) 5.KYUSHU (九州) 2 (L772) 6.RYUKYU-RETTO (琉球列島) 1(L791) 結果 L891は極東地区の縮尺1/2.5万図で琉球列島の地図シリーズである事を表わしている。 EDITION NUMBER についてはCで記載済み FIRST PRINTNG NOTEは1945年の初印である事 |
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8. CREDIT NOTE (クレジット ノート) |
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米軍地図局(AMS)の教本によるとCREDIT NOTEについて下記の様な記載有。 CREDIT NOTEとは地図を読む人が、図を作る場合の使用源泉資料を検証し、又地図上に何にも説明してない異例の状態を解明するのに助けとなる参考事項及び注記を組み合わせたものである。 主な事項として、次のものは示されている。 1.作製機関の名称 2.作製の方法を日付 3.源泉資料 又地図の特性によって、下記事項の一部か全部を示されている。 1.雑資料 2.原図の作製方法 3.複製及び職尺復元に関する事 4.空中撮影の日付 5.その他必要なる事項 |
上記英文を自己流で翻訳してみました。 本図は太平洋艦隊兼太平洋方面軍司令部の命により太平洋米陸軍第64工兵地形大隊が1945年(昭和20年)4月14日航空母艦ホーネット(CV12)から出撃した756・757号機と1945年4月27日にVD5(空母名不明)出撃した113A・113B・113C・113D号機がが撮影した航空写真を使用し同年7月に編纂された。 また本図はAMSのL791シリーズ(※1/5万)の地図から水平位置を使用し、中部太平洋陸軍の第1633写真測量小隊がムルチプレックスを使用し写真測量法で作成された。水深高は1945年海軍水路部の沿岸水路測量によって編纂された。 地名は改正ヘボン式によってローマ字化した。道路は航空写真により等級を分類した。現地踏査に基いていないので信頼度は確信がない。 (※ CV12については「沖縄県公文書館研究紀要 第5号〔沖縄戦に際して米軍が撮影した空中写真U:垂直写真と斜め写真の別による利用についての一考察〕に記載有) |
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【 驚きの内容充実のCREDIT NOTE 】 CREDIT NOTEとは日本語にすると”信用度の覚書”とでも訳せるであろう。この地図の図面内容がどの程度の信頼性があるのかを正確に事細かく記載されている。 良い事も悪い事もいかに正直に記載する事が大事であるかが実に合理的な考え方である。戦争に使用される地図であるから、当然地図が間違っていれば即命に関るのである。そこで当時日本の陸地測量部作製の地図がまったく逆な事が行われていた事実がある。 地図ニュース平成2年11月号に元陸地測量部に在職されておられた方々の座談会の記事があり次の様に記載されている。 「白部といえばニューギニアの航空図を編集していた時、内陸部の山岳地帯で、オランダの資料は未測のため白部のままでした。しかし、将校はこれは雪のための雪線だと主張し、高山としての等高線を記入させられました。この結果、後日実際飛んだ現地の航空隊からそんな高い山はないと文句を言ってきました。」
「戦前、どういう訳か地図の白抜きをきらっていました。このため見えない山の背後にウソの等高線を書くもとになりました。未測地を白いままにしておくのが極端に嫌われました。」「資料に忠実でなかったのです。参謀はなれているコンターがどうしてもほしかったという事だった様です」 一方米軍はこの地図は”道路に関して現地踏査していないので信頼度は確信がない”と記載しているのが実に印象的である。 |
※【AMS-L791シリーズ索引図】 (テキサス大学図書館HPより :AMS1945年作製) 1/5万のL791図で標定して1/2.5万を図化してのであろう。おそらく1/5万は日本の陸測地形図「島間」を使用したものと思われる。 |
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9. LEGEND (図式一覧表) |
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【この図式の特徴】 戦術(戦闘活動用)地図の為に必要な項目を実に的確に選択し表現されている。 大きく分けて5つに分類できるのではないかと思われる。 その5つとは道路・変形地・植生・海岸部情報・戦闘車両通行困難地と分類できる。 1.道路 (これは車両が円滑に通行できるかの判断材料となる重要な情報項目である) @ 県道 →米軍地図で良く使われる道路幅員分類でない表示だが、実際は2.5m以上の復員道路と云う意味なのかもしれない。(また2車線道路の意味か?) A 2.4m道路 →これは後に米軍地図で使われる車線数で云うところの1車線道路ではないかと思われる。 B 小道 →日本で云うところの小径だと思われる。徒歩道で車両は通行出来ない道。 C 補強部分道路 →おそらく舗装道路の意味ではないかと思われる。この図葉には表示されていない。(種子島には舗装道路は無かったのではないでしょうか?) 2.変形地 (これも戦闘行動する時に戦闘車両・兵士の通過を困難にしている箇所となる) @ 切土と盛土 A ガケ B 岩ガケ 3.植生 (変形地と同様に車両・兵士の通行困難度を判断できる) @ 砂地 →上陸適地となる砂浜である。 A 耕作地 →桑畑・茶畑・果樹園また乾田の区分もなく、乾燥地の耕作地との意味だと思われる。これも戦闘車両の容易さを表しているのではないでしょうか? (種子島では多分砂糖キビ畑とサツマイモ畑だけだったのだろう。) B 森林 →車両は通行出来ないが、歩兵は身を隠す事ができる。(見通しは悪い) C やぶ →車両通行可能。見通しは良好。 |
4.海岸部情報 (上陸作戦に必要な海岸部周辺の情報が詳細に記載されている) @ 水深 →その地点の海の深さ。 A 暗礁限界線 →この線より陸側は暗礁の危険がある。 B 隠顕岩 →満潮時に姿を現す岩礁。 C 水深線 →海中地形の等高線 5.戦闘車両通行困難地 @ 砂障害物 →砂地に作られた上陸時の妨害物体。正確にどの様な物なのかは不明。 A ぬかるみ又は湿地 →字の如くぬかっている土地。この為戦闘車両特に重要なのは戦車が走行不能の箇所なのです。 B 堰 →当然車両は通行不能ですが、兵士が歩行して横断する事が困難な箇所である。 C 水田 →上記ぬかるみと同様に、戦車等が走行不能の箇所である。 この地図を見て非常に目立つのは方眼線関係と水色の太線で書かれている水田記号と湿地記号である。この水色太線がいかに大事な情報化が強調されているのである。(※戦後の版の水田記号は普通の記号だけになっている。) 【エピソード】 先日NHK−BShiで放送された米軍レイテ島上陸作戦についてのドキュメント番組で以下の事が紹介されていた。 「これは以前に米軍が上陸したフィリピン・レイテ島において、多くの湿地帯(水田を含む)に戦車を含む戦闘車両が踏み入れてしまい、抜け出すのに困難な状況があったとの事でした。」 おそらくそれらの経験を元に、この種子島の地図においては水田や湿地帯を特に目立つようにはっきりと表現したのではないかと思われます。 (※沖縄では基本的には水田は無かった様である) |
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10. REFERENCE BOX (参照事項欄) |
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【訳文】
【1000ヤード毎の数値を読み取り位置を指定する方式】 (123855) |
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【兵士に対してこの地図システムの使用法を記載】 REFERENCE BOXとはこの地図を実際に使用する兵隊達が攻撃目標を第三者に知らせる時に、全員がいかに正確にその場所を伝え合う事が出来るかを、懇切丁寧に説明した欄である。 このグリッドシステムをだれでもスムーズに使いこなす事が出来る様に、例題まで作り図中にその箇所を印刷までして、それを順序だてて、書かれている。 これほど分り安い様に書かれているのには、米軍は兵隊達は地図が読めないという前提に立って、これらの地図を作製しているのです。以前書いた様に日本軍が地図は誰でも読みこなす事ができるとの前提で作られているのとは、まったく逆の発想だったのです。 実に合理的な思考なのでしょうか。またこれにより実に正確に日本軍の攻撃目標に集中攻撃が行われ、徹底的に殲滅されて行ったかが、数々の戦史に記載されているのを見れば良く分ります。 |
【大メッシュと小メッシュを読み位置を特定する方法】 (”C”1285L) ×RJ186が地図内に印刷されている RJとは(ROAD JUNCTION)の事! |
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11・12. SCALE NOTE & BAR SCALE (梯尺註記とバースケール) 米軍地図局(AMS)の教本によると 「此れは、地図距離対地上距離の比である。」と記載されている。 距離の単位は三種類(マイル・メートル・ヤード)記載されている。 1マイル=1760ヤード=約1.609kmです。 戦前の米軍地図に書かれたメッシュはヤード単位で記入され、戦後はメートル単位で記入される様になっている。 どれか一つの単位に統一した方が混乱せずに良いのではと日本人としては考えるのだが、逆に三つの単位を併記する事を米軍は合理的と考えたのだろうか?しかしその理由は不明である。 (※ アメリカがヤード・ポンドが今も日常的にを使用しているのは日本の”坪”と同様に長年の習慣の為でしょう。) |
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13. CONTOUR INTERVAL NOTE (等高線間隔ノート) 米軍地図局(AMS)の教本によると 「等高線間隔ノートは地図上に現れる各等高線間の間隔を現すもので、此にはまた間曲線とか云った、変則的なものに付いても示すものである。」と記載されている。 「この地図の等高線間隔は10mである。 また補助曲線は5mである」と書かれている。 14-1. PROJECTION NOTE (投影法に関するノート) 〔 多円錐図法 〕 こ地図の図法は当時日本で使用されていた多面体図法でもなく、また後年使用されるユニバーサル横メルカトル図法(UTM図法)でもなかった。米軍は沖縄の1/2.5万地図や終戦前に作製された1/12500の地図も多円錐図法であった。 ※多円錐図法は等距離多円錐図法ともいわれ、1820年アメリカ沿岸測量局で考えられたもので、アメリカ図法とも言われている、全ての中央経線上では地球上と等距離になっている。アメリカはじめカナダ、アルゼンチン等の地図に使用されていた図法である。(地図編集及び製図 小川泉著 山海堂 昭和41年発行を参照) 当時米国の地図はこの図法で作図されていた様である。その為当然1/2.5万戦略地図にも採用された様である。 なお戦後米軍地図は全てユニバーサル横メルカトル図法(UTM図法)となった。 ※ ユニバーサル横メルカトル図法(UTM図法)は、第2次世界大戦中連合軍の軍用座標として用いられた図法で、現在は大・中縮尺用の図法として世界的に用いられており、わが国においても現在地形図の図法として採用されている。 (地図編集及び製図 小川泉著 山海堂 昭和41年発行参照) |
14-2 GRID NOTE (方眼ノート) 「1000ヤードの多円錐方眼の地区は”C”ゾーンである。 方眼番号最後の三桁数字は省略した。」 【多円錐方眼ゾーン帯表】 米軍地図局が1945年に作成した1/12500地図の偏角図を読取った結果、上図の様に日本の標準子午線である135°をBゾーンの中央経線として、そこから東西4°づつ計8°を一つのゾーンとして作られている事が判明した。 米軍地図局は北海道・北日本あたりを”Aゾーン”としてスタートし西に8°づつA・B・C・Dゾーンとして日本の地形図を作成している。台湾はDゾーンになっている。 「図郭外の青色数字・小さなトンボ線は、オーバーレイ上の方眼ゾーンは”VNのBゾーン”を表す。」 実際に戦場では半透明のオーバーレイを被せて情報を記入して使用していたと書かれているが、その事が不明である。 |
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15. USERS NOTE (使用者に対するノート) 米軍地図局(AMS)の教本によると 「この地図を使用する者に、依頼するノートが示されている」と記載されている。 「この地図を使用し誤記を認めたら地図上に印を付け、ワシントンの工兵監まで直接郵送する事。その地図は訂正を加えて対応する。」 ここに記載されている記事は米軍地図局が、実際に使用する兵士達に地図の誤記を発見したら、直ちに正確な現地情報を連絡する事を依頼している。すなわちこの地図は完全ではない事を表明し、誤記は直ちに修正される態勢になっている。 実に合理的・民主的な対応が行われていた様である。 |
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16. GLOSSARY (グロッサリー) 米軍地図局(AMS)の教本によると 「英語以外の国語を使っている様な地域に対しては、原語に対して英訳された英語をのせてある。 即ちのせてある用語は、英語にした方が望ましい名前又は、固有名詞以外の用語である。GLOSSARYに出て来る用語の例を挙げると湾・岬・洞窟・丘・家屋・島・湖・山・川・峰・町・村等である。 又地図上に、一度以上出てくる語だけが入っていて、唯一度しか出て来ない語は、地図上に入れてある。普通は原語が左側で該当の英語が右側にある。」と記載されている。 〔例〕 wan (湾)・・・・・・bay 日本の地名をヘボン式ローマ字で表記されている。良く出て来るローマ字記載地名を英訳しているのである。 ※ 戦後作成された米軍地図には赤字で日本語表記がされる様になった。 |
17. HYDRO DATUM NOTE (水路測量基準ノート) 米軍地図局(AMS)の教本によると 「地図上に示された深度の基準となっている潮位を示す。このノートは沿岸水路を含む1/1万以上の地図に示す。」と記載されている。 水路測量基準 : ほぼ干潮時最下水面 海の深度の単位はメーターとす。 この情報は水部情報の為、わざと青色で表記したのであろう。 ※ 戦後作成された米軍地図ではこの部分は DATUM NOTES(基準面に関するノート)とし @VERTICAL DATUM NOTE(垂直基準面ノート) AHORIZOTAL DATUM NOTE(水平基準面ノート) BHYDRO DATUM NOTE(水路測量基準ノート) 上記の三種類が記載される様になる。 |
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20. COVERAGE DIAGRAM (標定図) |
米軍地図局(AMS)の教本によると 「COVERAGE DIAGRAM」は「AMSが発行している1/10万以上の地図には次の様な場合に記載している」 A. 一種類以上の基本的なSUURCE MATERIALから編 纂する場合 B. 編纂方式を一つ以上を使う場合 C. 撮影回数が異なり且つ露出の期日の間に12ヶ月以上 もの間隔のある様な多くの写真から編纂した場合 写真実体測量機によってCOMPLATIONされた所は斜線で現されている。又写真平面修正を行った箇所は点で現した模様で示される。白部の所は既製地図を現している。 【詳細な図面内の作成方式情報】 米軍は地図内において作成条件によってその区域ごとに、作成情報を区域を区切って詳細な情報を記載しているのです。 その為区域ごとに地図精度の判断材料となり、使用者としてより正確な地図利用をする事が出来るのです。 【左記の標定図について】 この1/2.5万「SHIMAMA NE」は二種類の航空写真によって陸上部を図化された事が判ります。 @.焦点距離6インチのカメラは約150mmとなり、その後の標準的な焦点距離のカメラです。 A.焦点距離12インチのカメラは上記の物より倍の約300mmと云う望遠レンズを使用している。200mmは聞いた事があるが、300mmは偵察用に開発されたものなのであろう。 B.L791シリーズを使用という事は1/5万地形図を参照してこの1/2.5万地図が作られている事が判り、この地域に1/5万地図が既に作成されていた事の証明となろう。 C.撮影した航空隊の出撃番号が記載され、この地図は1の113Bと2の113Dによって1945年(昭和20年)4月に撮影された判る。又〔CREDIT NOTE〕に記載されている情報から4月27日に撮影された日が特定できる。 |
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21. UNIT IMPRINT (部隊捺印) @ UNIT NAME (部隊名) 64TH ENGR TOP BN (第64工兵地形大隊) USAFMIDPAC 〔Army Forces, Middle Paciffic (中部太平洋陸軍)〕 A WORK ORDER No.とCODE No. (作業命令番号と暗号番号) AIC-9095が作業命令番号 A-7が暗証番号 B PRINTIG DATE (印刷年月) AUG. 1945 〔1945年(昭和20年)9月〕 なお”980022”の意味するところは不明です。 |
22. INDEX TO BOUNDARIES DIAGRAM (境界索引図) 米軍地図局(AMS)の教本によると、「このDIAGRAMは殆んどのAMSMAPに示されるものである」だけ書かれている。 本来は郡名まででなく市町村名まで記載されるのだが、この地図は戦術地図の為か、郡名までの記載で終っている。 |
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23. INDEX TO ADJOINING SHEET DIAGRAM (隣接シート索引図) 米軍地図局(AMS)の教本によると、「このDIAGRAMには、それをのせるSHEETを表す短形の周囲にSHEET No.又はSHEET No.とSHEET No.とSHEET NAMEを入れた短形を示す。普通は9つの短形を示してあるが、これは周囲のSHEETの大きさと位置に依って変ってくる。」と記載されている。 このシートは4238-U NE(1/2.5万)である。 |
24. GEOGRAPHIC LOCATION NAME (地理的位置名) 米軍地図局(AMS)の教本によると、「地理的位置名は地図が入る国、州域は一般的な地理上の地域を示すものである。この位置名表示が大切なのは最初に見た時に此処を見れば、どこの地図かと云うことがつかめるからである。」と記載されている。 SHEET NAME (1/5万名) 「SHIMAMA」 SERIEES NAME 「RYUKYU-RETTO」 TANEGA SHIMA 「種子島」の島名の記載有 N3025-E1305230/5X75 これはこの地図の左下角の座標値で、その角地より緯度方向に5′と緯度方向に7.5′の範囲について地図を作図されている事を表している。 |