横浜と鉄道(4)

京浜急行・野毛山トンネル線形の謎!
(その2)

なぜ"大金"をかけてトンネルを造らなければならなかったのでしょう?!

もっと海側に造ればトンネルは要らなかったのではないでしょうか?!
わざわざ"大金"のかかるこのルートでったのでしょうか?

 京浜電鉄と湘南電鉄の延長計画

今は湘南電鉄と云ってもJRの“湘南電車”や“湘南新宿ライン”を想像する人が多いのではないでしょうか?実は今の京浜急行はこの問題点となっている、野毛山トンネルを出た所にある日ノ出町駅を挟んで品川寄りが京浜電気鉄道であり、横須賀寄りが湘南電気鉄道と云う別の会社の鉄道だったのでした。

関東大震災が起こった大正12年を境にして事は進行していった。京浜電鉄はその直前まで横浜側の終点は鉄道省線神奈川駅前に接して神奈川駅があった。また一方湘南電鉄はまだ会社設立準備の段階で免許の申請中であった。その計画では横浜側の起点位置は横浜市蒔田町であったのです。
(なぜ蒔田かは当時鉄道省では桜木町から蒔田を通って程ヶ谷に省電が延長される事になっており、蒔田に駅が出来る事が決定していたのです)

この時点では当然京浜電鉄と湘南電鉄は何の資本的にも人的にも設備的(当時京浜電鉄は軌間1372mmに対して湘南電鉄の計画では1067mm)にも一切関係のない会社でした。逆に湘南電鉄は横浜からさらに東京に向って、京神電鉄と云う京浜電鉄に敵対的な会社の申請までしていたのでした。(これは武蔵電鉄との競合した為、却下されてしまいますが。)とてもこの二社の路線が一つになるとは想像だにしなかったのでした。


震災後の大正14年京浜電鉄では横浜の繁華街である長者町までの延長を計画し、また蒔田が起点であった湘南電鉄は蒔田から桜木町までの延長を計画していったのでした。しかしこの時点ではまだ路線は別々のものであったようです。



大正14年7月24日 横浜貿易新報 社債募集広告


〔上記広告赤部分拡大〕
「近き将来に於て横浜長者町に延長し・・・」の記載有


横浜貿易新報 大正14年11月29日
〔湘南電鉄株式募集広告〕

「横浜(蒔田)〜省線桜木町駅間の予定線」の記載有
京浜・東横電鉄は旧平沼駅経由で繁華街・伊勢佐木町を目指した?!


鉄道免許・京浜電鉄3 大正13〜昭和3年
〔国立公文書館所蔵資料〕


左記の図面の着色図面
京浜電鉄:大正12年10月10日申請
東横電鉄:大正12年12月5申請
当時横浜の伊勢佐木町周辺は東京の銀座・浅草を一緒にした様な繁華街であり、商店・食堂・映画館・劇場等が集中し、東京より時代の先端を行っていたのではないでしょうか。鉄道会社としては乗客の多くが利用する事が予想できる路線だったのでしょう。

またこれらルートのポイントは当時震災後横浜駅の位置を何処に設定するか検討されており、両電鉄共申請した大正12年の震災後時点ではほぼ旧平沼駅跡を新横浜駅になる事が予想されていました。

下記の横浜復興計画案付図の様に、復興計画案には横浜駅(高島町)を廃止して旧平沼駅を新横浜駅とし、旧横浜駅から桜木町までの省線は廃止し、かわりに新横浜駅より「高架式ヲ以テ分岐シ御所山伊勢山ヲ地下式、野毛町以南ヲ高架式トシ、旧省電延長敷地ニ一致セシメ保土ヶ谷ニ至ルベキ予定線ヲ変更シ、大体鎌倉街道ニ並行シ之ヲ延長シ・・・・」との記載がある

両電鉄共その旧平沼駅(新横浜駅)で省線と連絡する予定でいたのではないでしょうか。ルート図を地形図に記載してみるとほぼ一致する事が判ります。京浜電鉄が平沼駅と長者町を結ぶ必要から野毛山トンネルを通るルートに必然的に決定してきたのでしょう。(これはあくまでもハマちゃんの勝手な推論ですが?!)


震災復興都市計画案 〔通称・牧案〕
内務省・牧 彦七技師計画
 〔大正12年11月13日立案〕
横浜都市発展記念館発行
目でみる「都市横浜」のあゆみ】より

(結局この案は採用されず桜木町駅を残す為、
現在の横浜駅の位置が決定したのでした)
〔注:着色での記入はハマちゃんが加工記入分〕


 1/2万地形図 「横浜」 明治39年測図

〔注:着色分はハマちゃんが加工記入分〕 
吉田初三郎絵図に見る予定路線


東京横浜電鉄沿線案内鳥瞰図
(吉田初三郎作図) 
横浜都市発展記念館発行
目でみる「都市横浜」のあゆみ】より


湘南電鉄沿線名所図絵
(吉田初三郎作図) 昭和5年刊
〔復刻版:横浜都市発展記念館発行〕
この絵図が何時のものかは、神奈川まで開通してさらに横浜駅までの延長も決定していたので昭和2年8月28日渋谷〜神奈川間が開通した時点描かれたものではないかと思われます。

東横電鉄の神奈川〜黄金町までの路線免許は昭和2年12月に申請を却下された。その時点で東横電鉄には横浜〜桜木町間の免許が与えられた。】
湘南電鉄としてはこの時点では桜木町までの高架線での延長計画をまだ免許を持っていました。(日ノ出町・桜木町間鉄道免許返納したのは昭和9年でした)

【この後同じ省線予定跡地を利用して、昭和12年に東横電鉄が桜木町〜日ノ出町の免許を申請し、日ノ出町で湘南電鉄との連絡を企てたが戦時化の混乱の為昭和19年申請書を返付している】
昭和2年が横浜郊外電車の路線決定時期!!


京浜電鉄工事竣功期限延期の件
鉄道免許・京浜電気鉄道 昭和4〜7年
〔国立公文書館所蔵資料〕
昭和2年12月26日に鉄道省は京浜電鉄・東横電鉄・湘南電鉄より申請されていた路線免許の結論を出し下記の様に決定された。

1.京浜電鉄
 日ノ出町〜長者町間免許失効
2.東横電鉄
 高島町(旧横浜駅)〜桜木町間敷設免許
 桜木町〜鎌倉間申請却下
 青木町(旧神奈川駅)〜黄金町申請却下
3.湘南電鉄
 桜木町〜日の出町〜南太田間敷設免許
 高島町(新横浜駅の事)〜桜木町間申請却下

この結果京浜電鉄と湘南電鉄の桜木町駅経由にて横浜駅での接続する事が出来ない事となり、それぞれの会社に免許が与えられていた区間が交差する箇所であった日ノ出町附近で大きくカーブし、大金をかけて野毛山トンネル・高架線経由で連絡する事になったのでありました。

出来る事ならトンネルを造らず高架線だけで桜木町駅経由で横浜駅で連絡したかったのでしょう!!

       横浜都市発展記念館紀要No.1
「1920-30年代横浜における郊外電車の都市内乗入れをめぐって」  岡田 直氏記述
横浜都市発展記念館   平成7年3月発行を参照
湘南電鉄・桜木町駅経由攻防記録


横浜市高島町、桜木町間線路敷設免許申請書
(注)高島町とは新設される横浜駅の事です

(国立公文書館所蔵・鉄道免許・湘南電鉄2)



京浜電鉄社長青木正太郎から鉄道大臣小川平吉宛

追申書の最後に付いていた手書きの文書

(国立公文書館所蔵・鉄道免許・湘南電鉄2)

昭和二年一月二十日

湘南電気鉄道株式会社  

取締役社長 野村龍太郎

鉄道大臣子爵 井上亘四郎殿

横浜市高島町、桜木町間線路敷設免許申請書

横浜市桜木町、長者橋間線路延長敷設に就いては既に客年十一月九日附湘第二十七号を以て之に対する免許申請書提出致置候處今回更に省桜木町の左側に並行して弊社線路を敷設し目下高島町に御新設中の横浜停車場に於いて京浜電気鉄道株式会社の免許線と直接連絡を為し京浜間及湘南地方の交通に対し充分なる利便を図ることに致度右格別の御詮議を以て急速御免許許相仰度此段及申請候也

追って京浜電気鉄道株式会社線路との連絡に関しては豫め同社の諒解を得る

   希望條項

1.  湘南は蒔田・省桜木町駅間の省廃線用地を使用し、省桜木町を経て新横浜駅に至り京浜と直通連絡をなす事。

省桜木町・新横浜間の線路に就いては省線が湘南に払下げらるるは最も希望する所なるも、之が不可能ならば省線と併行布設するも可なるべく、又東横線が同様併行布設を許可せらるる場合と雖も、湘南に対して亦同様許可せられん事を希望す。

2.      蒔田・省桜木町駅間の省廃線用地は原価以内にて湘南に払下ぐる事。

3.      蒲田・五反田線を京浜に許可する事。

如何に湘南電鉄が桜木町駅経由で新横浜駅で京浜電鉄と連絡したかったかがよく現れている文書ですね。




神奈川県知事より鉄道大臣への追申書(3)
(注)中間の文書の写真(2)は省略しました。

(国立公文書館所蔵・鉄道免許・湘南電鉄2)



神奈川県知事より鉄道大臣への追申書(1)

(国立公文書館所蔵・鉄道免許・湘南電鉄2)

地方鉄道敷設免許申請に関する件追申

湘南電気鉄道株式会社申請に係る既免許線起点富士見耕地、長者橋附間(大正十五年九月十日附十五土収第一四五八号進達)長者橋桜木町間(昭和二年一月二十四日附十五土収第四七六六号進達)及桜木町高島町間(昭和二年三月十三日附二土収第二〇三号進達)竝

東京横浜電鉄株式会社申請に係る桜木町経由鎌倉線(昭和二年三月二十九日附十五土収第三六二九号進達)地方鉄道敷設免許申請に関しては夫々?に進達致置候處右の内湘南東横両社の何れを以てすると雖も貴省桜木町電車線を廃せさる限り之に並行して新に地方鉄道一線を設けんとせは桜木町通(三十一号国道)寄に新設すること能はさるを以て其の反対側にするの外なく之を実施するには勢ひ貴省東横浜駅に至る貨物線竝に同駅構内配線の一部の移築又は廃止を断行するの外なかるべしと雖ども移築するの餘地なく、さりとて一部たりとも廃止せらるるか如きことありては新横浜駅の機能を著しく阻害すべく加之市内電車の移築街路の変更及之に伴う移転等容易ならざる関係有之事實上敷設困難なりと被認且省社両線同一桜木町駅に於いて乗降客を呑吐する関係上同駅頭は非常の混乱に陥るへく如何に高架の施設を以てすると雖も其の混乱する地域にして横浜市幹線道路たる第三十一号国道を横過して鉄道を敷設するか如きは然る可からざるものと存し候のみならす本区間に前記の犠牲をも顧みず高速度交通機関を密接して施設するの要は無之ものと被存候

翻て東京横浜両都市を結ぶ交通機関に就いて観るに東横京浜の両社は何れも起点に於いて東京市の中心を距つること甚だしく其の施設効果に於いて夫か、運輸効率に於いて貴省京浜線に比すへくも非す殊に貴省横浜桜木町間電車線存置せらるるに依りて初めて両都心は結び得らるるものに有之候間京浜両市を連絡する主要幹線交通機関の使命を有せざる前記両社の内に桜木町線を委譲するか為に之を廃せらるるか如きこと絶対に無之様致度元来本件横浜市内乗入地方鉄道敷設に関しては湘南社をして其の姉妹会社たる京浜社既免許線と長者橋に於いて尚貴省線桜木町駅と第三十一号国道を距ててか或は之を地下横断して連絡せしめ東横社をして舊横浜市域の外廓を廻る循環鉄道の一部を形成せしむれば足るものと認められ候條可然御詮議相成度及追申候也

昭和二年七月六日 
          神奈川県知事  池田宏

鉄道大臣  小川平吉殿

追って本件に関する復興局横浜出張所長及横浜市長の意見別紙写の通に有之候得共此其の多くは工事施工認可申請の際に於いて考慮すべき未葉の問題にして其他は地方鉄道法に明記せらるる處に有之候條之か採否に関する意見は留保致度為念申添候

神奈川県・横浜市当局は省線桜木町線の存続を第一に考えており、実現には省線(旅客線・貨物線)の大規模な移転及び廃止・さらに幹線道路の移転等、既に狭い範囲に密集している施設を大幅に変更する必要がある事を強調し、湘南電鉄の京浜電鉄との連絡横浜駅乗入れを日ノ出町附近(長者橋)にての連絡にする様に要請している。結果鉄道省よりの認可は上記の昭和2年12月26日に決定したのでありました。

東横線が開通後しばらくは省線廃線跡の単線で運転され、複線化したのは道路の歩道部分を利用してやっと実現出来た事でもこの区間が狭い範囲に各種交通機関が集中していたかが解ります。
苦肉の路線(京浜・湘南両電鉄)接続!!


〔大岡川・旭橋が写っている。〕
土木建築画報「昭和7年6月号」  建設産業図書館蔵より


「新横浜駅附近の省及各社の路線図」
東京横浜電鉄 大正15年 (横浜開港資料館所蔵)より
〔 (京浜電鉄横浜乗入線縦断図)を参考に
着色部分はハマちゃん作成〕
そして曲線上の日ノ出町駅が出来上がった!?

大岡川沿いに直進して来た電車は旭橋を過ぎるあたりで急に進路を大きくカーブして日ノ出町駅に進入して、直ぐに野毛山トンネルに入って行くのです。



R280の曲線上の駅は非常にめずらしいのではないでしょうか?電車とホームの間が15Cm位開いている所もある大変危険な駅ですが、どうしても曲線上に作る必要があったのか又疑問が湧いてきました!?

 
〔完成時の日ノ出町駅・現在も当時の雰囲気はかなり残っていますね〕
土木建築画報「昭和7年6月号」  建設産業図書館蔵より
ユニオンステーションとしての日ノ出町駅


大正15年4月14日 横浜貿易新報
大正15年時点で横浜市当局においては京浜電鉄と湘南電鉄を日ノ出町附近で連絡させ一大「集中駅」(ユニオンステーション)として建設する様に両会社と協議していた事が記載されている。

市当局としては既にこの時点で湘南電鉄と京浜電鉄の連絡を、桜木町でなく日ノ出町で連絡させる事を希望していたのではないかと思わせる内容ではと想像されます。

又東横電鉄と湘南電鉄についても黄金町にて(ユニオンステーション)として連絡駅の建設を協議し、諒解を得ていた事が記載され、市中心部の交通網が充実する筈であったのでしょう。
〔結局これは実現されなかったですが!〕

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