横浜と鉄道
(2) 京浜急行「仲木戸駅」の謎!!
謎・その3 駅名の謎!! | |
「仲木戸駅」の近くの能満寺に母方の墓地があった関係で、子供の頃よく「仲木戸駅」を利用していたものです。 隣の「東神奈川駅」に比べると何か田舎くさい駅名だな〜と子供の頃から感じていました。 「仲木戸駅」の謎解きを始めて駅名の由来を調べてみようと思い立ちました!! そう言えば何か由緒ありげな駅名ですよね!! |
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謎解き その由来は江戸時代に!! | |
金川砂子 「文政7年(1824年)」・(神奈川方角) 神奈川宿の地誌書 【東海道と神奈川宿】 横浜市歴史博物館 1996年編集・発行より |
金川砂子 「文政7年(1824年)」 (東光寺妙仙寺絵図) 神奈川宿の地誌書 【東海道と神奈川宿】 横浜市歴史博物館 1996年編集・発行より 〔左絵図の青矢印方向から見た情景〕 |
上図の神奈川宿の地誌書に「仲木戸横丁」と書かれているのがわかります。 (注) 「丁」とは「町」と同じ意味のようです。 神奈川宿は慶長6年(1601年)に宿場となったそうです。その後、将軍が江戸に上洛する際の宿泊施設として、神奈川町に神奈川御殿が造営された。上図の”御殿跡”と書かれている所にありました。東海道からその御殿に出入りするには東海道と並行にある”御殿中道”と呼ばれる道を通る事になり、江戸から来る時は”十番丁”の辺りから内陸へ延びる道を曲がって、直ぐ西に”御殿中道”に入る事になるのです。 ちょうどその”御殿中道”に入る箇所に御殿が存在した当時、ここには”木戸”が設けられ人々の往来を管理していたのではないかと想像され、その木戸の横の町との意味合いで仲木戸横町と名付けられたのと想像されます。 【東海道と神奈川宿】 横浜市歴史博物館 1996年編集・発行を参照しました でも”木戸”はわかりますが、なぜ”仲木戸”なのかは解りませんでした。 おそらく、仲木戸だけではなく上木戸・下木戸(想像)の間にあった木戸ではなかったのではないでしょうか? (この部分ハマちゃんの想像です) |
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明治14年測図 1/2万地形図 「神奈川駅」 (第一軍管地方1/2万迅速図原図復刻版) 日本地図センター発行 |
明治39年測図 1/2万地形図 「神奈川」 陸地測量部発行 |
上図を見ると「仲木戸横町」の町端の道上に「仲木戸駅」が作られたのが良く解ります。 官設鉄道の「東神奈川駅」に比べると、歴史的・地理的に適切な良い駅名になっていますね。 この時代から”お上”の考える事はいかに歴史的・地理的に適切な判断の出来ていない駅名が命名されることが多かったかが解ります。この伝統が今に引き継がれている様で、東・西・南・北・中・武蔵の各浦和駅の様な命名がされています。どうにかならないでしょうか!! その土地土地に根ざした字名なり町名があるはずなのに、何かより大きな行政名を頭にかざさないといけないと考えていたのでしょうか。もっと豊かな駅名が増える事を願っています。 その点京浜急行は今でも個性豊かな駅名が多いですね。「青物横丁」・「梅屋敷」・「鶴見市場」等々ありますね。実に楽しい駅名ですね。 なお開業当時の駅名が「中木戸」と(仲)ではなくて(中)の字が使われていて、直ぐに「仲木戸」に変更されたのは多分単純な間違いではなかったではと想像します。 |