昔の鉄道の話題から

【横浜貿易新報の記事より】

(4) 日本初の禁煙車!!

今では列車や電車に乗って喫煙できる車両を探すのは大変になってきましたが、日本の鉄道では何時頃から禁煙車が出来たのでしょうか?それとも最初から車内は禁煙だったのでしょうか?

年代を追って新聞記事を見ておりましたら、出て来ました明治41年10月1日より一部の急行列車のみ、それも車両を分けて禁煙車両が登場したのです。           


   横浜貿易新報     (明治41年9月26日)   

鉄道庁の禁煙車

鉄道の乗客中喫煙を好むものと好まざるものと同車するに、好まざるものの迷惑甚だしきが鉄道庁は疾よりこの事実を察知し出来得べくんば、今回各列車を喫煙部と禁煙部との二部に区分し、その第一着手として先新橋と横浜、横須賀及び国府津間に於ける小急行列車に対し、各等共ボギー半車宛の禁喫煙室を設け、愈々来る十月一日より之を実施する事となりせり。

欧米の文明国にありては旅客は公徳を重んじ婦人の面前等に於いては喫煙をなさざるの良習あり、又然らざるも列車中に喫煙者と不喫煙者との分乗せしむる等の事は疾くより行われ居るに対し、独り我国にてのみこの点に無頓着なるが如きは甚だ気恥ずかしき感ありしが、今回鉄道庁に於いて断然この良風に倣う事と為せるは、大いに喜ぶべき事なり。

而して前記の各列車ボギー車五両の各等編成にして其の中新橋発の時は前頭より二番目の三等合造車一両及び三番目の一等車手室を禁喫煙車となし、其の目印として車室の内外は青地に白く禁喫煙と和英両文字にて記したる札を掛け置く筈なれば、旅客は乗車の際この札に注意し初めより喫煙さざるつもりにて乗込める人々は勿論、誤って之に飛込めるものも必ず其の制を犯して同乗者に迷惑を及ばすが如き事のなき様注意すべしとなり。



横浜貿易新報 (明治41年10月4日)

禁煙列車と警告 

鉄道庁にては今回新橋より横浜、横須賀、国府津間各急行列車に禁煙車を設けたるも、乗客中には兎角その禁を侵すものあり。同列車設置の目的に反するを以って此の際着発駅にては之等乗客に対し一々注意を与え、喫煙の際は別室にてせられたき様特に指示し、同車設置の目的に副う様取計らうべき旨三日各関係駅に通知せりと。

      なかなか守られなかった様ですね!!

禁煙車開始四日目の新聞記事です。
いままで車内で自由に煙草を吸っていた人々が、急に吸えなくなったのだから、混乱状態だった事が良く見て取れますね。

                         やっと出来た禁煙車!!

日本に於いて鉄道が開通してから既に36年の歳月がたっていました。
その間当然全ての日本の列車では、たばこがすえた事なのでしょう。この事は特に鉄道に限った事ではなく、日本の社会一般に言える事で、喫煙者と非喫煙者を分けて物事を考える事はなかったのでしょう。

この喫煙車を設ける件についても、きっかけはどうやら西洋の文明国に恥じない様にとの一言に尽きるのでしょう。上記の新聞記事にも
「欧米の文明国にありては旅客は公徳を重んじ婦人の面前等に於いては喫煙をなさざるの良習ありとの記載があり、日本も文明国の一員である事へのアピール的な意味合いもあって実現したのではないでしょうか

普通の日本人の乗車する列車には禁煙車が設けられることは、この先もしばらくなかった様です。
その証拠に下記の様な記事が大正7年の新聞に記載されていました。

  なぜか院電は喫煙で、京浜電車は禁煙だったのか?


横浜貿易新報 (大正7年2月21日)

京浜電車喫煙出願

京浜電気会社にては鉄道院電車開通以来一大打撃を被り、殊に院電は喫煙自由なるに反し、京浜電車は本県会に「横浜市及び横浜を起点東京終点とする電車内にては喫煙を禁ずとあり、為に会社より頻りに解禁を懇請する試みありしも不許可とあり、喫煙を好む乗客は自然院電を選ぶの結果となり。
営業上多大の損失なるより、会社は重役会議の上今回新たに禁煙室と喫煙室の二台連結の車両を運転し、好煙家の乗客に便宜を与える事を計画す。

【 大正7年になっても相変わらず院電は喫煙車であったのに、京浜電車は神奈川県条例よってなぜか禁煙車であった様です。】

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