深 名 線 跡 周 辺 探 訪!

昨年の8月仕事で北海道は空知地方に旅して来ました。

空知地方最北端にある幌加内町内を、朱鞠内湖から南流している雨竜川に沿って
石狩沼田駅(留萌本線)から名寄駅(宗谷本線)まで深名線という鉄道が、
平成7年まで走っていたのです。

仕事の合間にその深名線の残像を見る事ができました。
最新の”深名線跡”とその周辺探訪をご覧ください!
思いがけない事実が発見出来ますよ!!

深 名 線 沿 線 図

(注)番号をクリックしてください。写真にリンクしています!!


日本分県地図 「世界原色百科事典別冊」
昭和42年7月発行  小学館刊


日本一寒い所 「母子里」


            @「北母子里駅」跡
駅前通り突当たりに駅があった様ですが、その駅舎があったと思われる所には、現在は携帯電話各社のアンテナが立ち並んで、時代の流れを感じられる光景でした。
【廃線前の北母子里駅写真へ】
     【幌萌鐵道管理局】を参照    〔沿線図に戻る〕


1/2.5万地形図「母子里」 昭和61年改測
国土地理院発行


        D母子里クリスタルパーク
昭和53年2月17日に-41.2度の日本最寒気温を記念して公園です。写真の建物はその資料館です。
                        〔沿線図に戻る〕


「日本最寒地到着証明書」(100円)

”母子里”と言えば日本一寒い所として名を馳せているいる場所でした。母子里の売店のおばあさんの話では家の中は暖かいのでそれ程住み難い所ではないとの事でした。名寄には30分も掛からずに行けるとの事!幌加内町の役場に行くより名寄の方が近くて便利だそうです。


【A】地点  名古屋大学地球環境研究所母子里観測所
【いかにもオーロラが見れる様な澄んだ空ですよね!!】
                         〔沿線図に戻る〕 
        何だこの電波塔記号は?!

上図「母子里」に記載されている密集している電波塔は何んの為に有るのかの疑問があり、現在は無いのではないかと思って現地に行ったのでした。

行ってみると想像していた大きな電波塔は見当たらず、その電波塔近くに「名古屋大学地球環境研究所母子里観測所」の看板があるではありませんか。なんと場違いな名前ではないでしょうか!

名古屋大学の施設が、はるか遠い北海道の極寒の地にあるのか?不思議ですね??

理由は判りませんでしたが、何の為の施設だかは判りました。
それは”オーロラ観測”の為だそうです。肉眼ではなかなか見る事はないそうです(何年にか一度位は肉眼で見る事も出来るそうです)が、電波的に観測するのを目的にしているとの事です。その為の電波塔でったのでした


日本一大きな人造湖「朱鞠内湖」


E-1 「朱鞠内湖」 (朱鞠内湖PAより)
日本一の人造湖だけあって全景を見る事は出来ません!
  

1/20万地勢図 「名寄」
国土地理院発行


     E-2 「朱鞠内湖」 (湖畔キャンプ場より)
        何処となく北欧の雰囲気ですね!!
        対岸に見えるのが「藤原島」です。

   
   1/2.5万地形図 「朱鞠内」 (地図閲覧サービスより)
     最果ての地に日本一の人造湖??

明治時代よりこの地一帯は北海道大学の雨竜演習林として原生林が密集していたそうです。(現在でも湖周辺は演習林となっています.)

大正時代の終り頃、一私企業の王子製紙社長であった藤原銀次郎がその演習林に目を付け、昭和3年に北海道大学から朱鞠内一帯の土地を買収し、雨竜川の水利権も取得、雨竜電力鰍熕ン立して本格的に森林開発を始めたのでした。

(ちなみに湖最大の島は”藤原島”と命名されています!)

ダムを造る事によって水没する地区の原木を伐採し、苫小牧にある製紙工場の原料として使用。またダム湖の水を利用して発電し、その電力を札幌などに送っていたそうです。ダムは王子製紙の財力と技術によって造られたのでした。まさに一石二鳥の発想だったのですね!!

この地域一帯は空知北部丘陵群と言われる、標高が低い台地状の土地で森林伐採も容易の上、ダム建設においても小規模のダムにて大規模な貯水池を作ることが出来たのでした。

実際にこのダムサイトの高さは僅か55mで湛水面積日本一の大貯水池が出来上がったのですね。(昭和18年にダムは完成、当時は東洋一のダムと云われたそうです。)
            【空知民衆史講座ホームページ参照】

普通ダム湖と云えば急傾斜な山地の河川に沿って細長く形成されるのが、この湖は広大なほぼ円形の形状をしており、とても人造湖には見えず自然湖だと思っていた時期がありました。
                   
                  〔沿線図に戻る〕 


E-3北海道大学北方生物圏フィールド科学センター
             森林圏ステーション
 
明治34年より呼ばれていた演習林の名称が上記の様な実に現代的な横文字交じりの名称に5年前に変更したそうです!
                         〔沿線図に戻る〕


              F 「雨竜川」
実に大陸的なゆうゆうとした流れであった。この流れの源は豊かな森林が育んだ賜物なのでしょう!!

                     〔沿線図に戻る〕


朱鞠内駅から着工線??



             A 朱鞠内駅跡
旧駅構内を整備し道路・広場と洒落たバス待合建物があり、その前に線路(20m位)と平成7年廃線になった時に使用されていた駅名表示板が記念に保存されていました。
(メルヘンチィックな情景になってしまいましたね!!)
                〔平成17年8月23日撮影〕
【廃線前の朱鞠内駅写真へ】
    【幌萌鐵道管理局】を参照      〔沿線図に戻る〕

 観光と旅 (1)郷土資料事典 北海道 〔北海道全図〕より
          昭和50年 人文社発行

上図を見てください。「名羽線」の路線名が建設中の鉄道として書かれているではありませんか?!また昭和42年発行の上記分県地図にも朱鞠内駅から空知・留萌支庁境を越えて羽幌方向に「着工線」の注記と共に建設中の鉄道記号が記載されているではありませんか?

一瞬目を疑いました!!本当にその当時に・その様な所に鉄道が建設されていたなどとは、想像も付きませんでした!!

しかし、調べてみると何と本当だったのでした!!
路線の形状が記載されている貴重な地図ですね。
      深名線は実は別々の路線であった!!

この鉄道のそもそもの始まりは上記の朱鞠内湖開発の為に建設された鉄道だった様です。

@大正9年  藤原銀次郎が王子製紙の社長に就任
A大正11年 深川〜多度志間工事着手
B大正12年 「天塩国名寄ヨリ石狩国雨龍ヲ経テ天塩国羽幌ニ至ル鉄道」国による建設予定線となる(これが名羽線)
C大正13年 深川〜多度志間が雨龍線として開通
D昭和3年  雨竜川の水利権を王子製紙資本が取得
E  〃    北海道大学よりダム用地を買収

F昭和7年  深川〜朱鞠内間が開通幌加内線に改称)
G昭和9年  ダム予定地の原木伐採を開始
H昭和13年 雨竜ダム起工式・藤原氏社長を退任
I昭和16年 朱鞠内〜名寄間開通(深名線に改称)
J昭和18年 雨竜ダム(朱鞠内湖)完成・発電開始
K昭和37年 朱鞠内〜曙間工事着手
L昭和55年 同区間工事中止(国鉄再建法により)
M昭和62年 国鉄からJRになる
N平成7年  深名線廃止

こうして二つの路線が「深名線」となったが最大の受益者は王子製紙(苫小牧の製紙工場までの原木輸送)であったのでしょう。その証拠に地元では深名線を「王子鉄道」と呼んでいたそうです。なお名羽線の未開通区間の工事は80%程完成していたそうです。
           【Wikipedia】・【Website 61℃ 等参照 


日本分県地図(東北日本地図)
小学館発行

(注)鉄道名・路線・駅名等はハマちゃんが
加工しました。
〔沿線図に戻る〕


鉄橋(過去)と 道の駅(現在)


            C 唯一つ残る鉄橋
国道275号線を走行していて急に目に飛び込んで来た。未だに深名線の残像が実際に残っているとは、想像だにしていなかったので感激ものでした!!
「第三雨竜川橋梁」と呼ばれ、土木遺産としても価値のある橋梁と云う事で、JRから保存会に移管されたそうです。
    〔平成17年8月23日撮影〕  〔沿線図に戻る〕




1/20万地勢図 「名寄」 暫定版
昭和26年 地理調査所発行


      G 道の駅「ほろかない」とせいわ温泉
鉄橋にすぐ近くに”現代の駅”である「道の駅」と宿泊施設の温泉が新設されていて時代の変化を見てとれますね!!
                          〔沿線図に戻る〕
       せいわ温泉「ルオント」

鉄道が廃線となり、変わって国道が整備され”道の駅”が全国的に作られる様になりました。

幌加内町もその例にもれず、ひなびた”三頭の湯”が道の駅と一緒に開発され写真の様なメロヘンチィックな建物として出来上がった様です。
(朱鞠内バス待合所と同じコンセプトでは!?)

私達もここで一泊。露天風呂に入り、蕎麦懐石料理に舌鼓を打ちました。とても美味で品数も多く、最後に出た”蕎麦ご飯”(蕎麦の実を炊いたものが三割位入った混ぜご飯)は蕎麦の風味がたち込み大変美味しい一品でした。

(注)幌加内町は蕎麦の作付け面積・収穫量が日本一の町なのです。
訪れた時は丁度沿道の畑は一面白い蕎麦の花で埋め尽くされていました。それはそれは圧巻なものでした。
地形図に記入されている水田記号は現在は全て蕎麦畑になっています。
              下図写真Aを参照〕


上 幌 加 内 駅 跡 
 
           B 上幌加内駅跡
偶然に国道から横道に入ったらこの駅跡を発見!!きっと地元の人々の熱意で当時のままの形で保存されているのでしょう。
                   〔平成17年8月23日撮影〕
【廃線前の上幌加内駅写真へ】
   【幌萌鐵道管理局】を参照         〔沿線図に戻る〕


1/2.5万地形図 「幌加内」 (地図閲覧サービスより)
平成13年修正  国土地理院発行
(線状に延びている荒地が深名線跡地)


(A方向)  一直線に荒地が延びている線路跡
〔一面に蕎麦の花が咲いていました〕
                     〔蕎麦の話に戻る〕


(B方向)  線路がぷっつり切れて一面の畑広がっている
〔沿線図に戻る〕
                               
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