昭和50年(1975年)の切符




 山陰周遊券 〕

2月13日から2月17日 

8100円

大学の春休みを利用して山陽・山陰地方風土の比較地理学的考察?に一人で行って来ました!!


( 表 紙 )

(周遊乗車券)


( 裏 表 紙 )
【旅 の 行 程】
(一日目) 

山陽・瀬戸内海沿いの兵庫県は相生町周辺(古い港町)を散策。穏やかな早春(関東と異なって風の冷たさない)を感じながらの歩いた日を思い出します。宿泊は国民宿舎相生荘、たしか他人との相部屋だったと思います。(まだ相部屋があった時代なのでした!!)

〔写真〕
相生荘から見た瀬戸内海に沈む夕日です。
いかにも内海の雰囲気が良く出ている一枚です。

”ひねもすのたりのたりかな”
(二日目) 

姫路から国鉄姫新線で中国山地の中間に位置する津山盆地に寄る。ここは「美作」(みまさか)の国と云う実に美しい響きを持った所です。中世の名城「津山城」に登城、無駄のない実戦に即した美しさを持った城であった。
宿泊は津山からバスで行く奥津温泉でした。さすがに山深い温泉町では雪が降り出しました。

〔写真〕
やはり国民宿舎から見た河原にある奥津温泉名物”足ふみ洗濯場”です。当日は雪が舞っていて人の姿はありませんでした。
(三日目) 

伯備線経由で薄っすらと雪化粧した宍道湖畔の松江に到着し、早速松江城に登城。菜の花が咲き、穏やかな日差しを浴びていた山陽からするといかにも山陰に来たなと感じたものでした。たしかその日は玉造温泉に泊まったと思いますが、まったく記憶にありません。

〔写真〕
松江城の天守閣から宍道湖方向を眺める。
山城的な津山城からすると、こじんまりと優美で形式的なお城でした。さすが山陰の小京都と言われる所です。
(四日目) 

出雲市駅で今は廃線となった国鉄大社線に乗り換えて大社に到着。出雲大社見学後市内を散策、一時代遡った町並みを見つけて感傷に慕っておりました。しかし山陰と云う言葉の持つイメージ程は暗い事はなく、雪は少々ありましたが比較的穏やかな明るい雰囲気を感じることが出来ました。山陽・山陰は言葉が先行してイメージ造りされてしまった様に思えてなりませんでした。日御碕灯台近くの国民宿舎に宿泊。

〔写真〕
昔の風情が良く残っていて、向こうからちょん髷姿の人が現れそうでした。
(五日目) 

この日はっきり記憶している事は、当日日御碕から出雲市駅に向かったバスが出雲市内で渋滞に巻き込まれ、8時18分発急行「大社」に発車ベルの音を聞きながら、列車に飛び乗った事でした!!この列車に乗れないと途中の城崎駅で乗換予定の特急「あさしお2号」に乗れなくなり、その後の日程が台無しになるところだったのです!!
この日の宿泊は京都市内の専門学校時代の友人宅に泊めて頂きました。(たしか烏丸通りだったと思います)
(六日目)

 ここから先の記憶が一切ありません。
(多分この日新幹線で帰宅したのでしょう?)

〔 その他の切符  〕

(普通・急行券切符)
切   符 切符の種類 切符の特徴 ハマちゃんの思い出
乗車券

3月22日
東京山手線内から
草津温泉ゆき

往復とのスタンプ印あり

料金不明
社員旅行で草津温泉に行った時の切符
往復切符の行きの切符ではないかと思います。
急行券・
グリーン券

3月24日
急行「草津5号」

1300円

草津温泉駅発行
社員旅行の帰りのみんなでグリーン車に乗って帰ってきたのですね。景気の良い時代でした!!

(特急・寝台券切符)

切   符 切符の種類 切符の特徴 ハマちゃんの思い出
特急券

6月12日
特急「おおぞら1号」

苫小牧から函館ゆき

500円
この切符の思い出がまったく残っていません!!

多分恵庭市の1/1万地形図の現地調査ではなかったかと思われますが、はっきりしません。
特急券・
B寝台券

6月12日
寝台特急「ゆうづる5号」

青森から
上野ゆき

恵庭駅発行
青函連絡船に乗って北海道に行っていた時代でしたね。

この当たりが連絡船に乗った最後だったかも知れません。


切   符 切符の種類・特徴 ハマちゃんの思い出

電算打出し切符
(横長型)


特急券
指定席券

2月17日

城崎→京都

700円

日暮里駅発行
この特急券こそが、もう少しのところで乗れなくなる筈の列車なのでした。
発車寸前(本当にドアが閉まる)寸前に飛び乗ったのでした。

当時出雲市駅は地上駅で改札口から直接上りホームになっていたお陰でした。

(4年程前に行った時は高架駅になっており、とてもその様な芸当は出来なくなっていました。地上駅でよかった!!)
電算打出し切符
(横長型)


特急券
B寝台券

10月26日

横浜→鳥栖

2700円

横浜駅発行
この特急券は地理院から初めて土地利用図の仕事が発注され、佐賀地区の作業に向かった時のものです。

今は廃止された寝台特急”みずほ”号でした。ブルートレインに乗ったのはこれが最初で最後でした。

えんぴつで書かれているのは、同僚が東京から乗ってきたので隣の寝台に変更してもらった時に、書かれたものです。


土地利用図 「羽犬塚」

寝台特急”みずほ”号で福岡県は鳥栖に行った際、調査して作成した土地利用図の一部です。私が担当した図面の「羽犬塚」の図面です。

有明海に面した福岡県大川市に宿泊し、大川市・柳川市・八女市などの筑後平野一帯をバイクに乗って調査した事を今も思い出します。

この図面で多数の水色の線が書かれているのが、クリーク(水路)です。日本でこの様な場所は他にはない情景でした。

有明海での潮の干満差の大きいのには驚いたのを、今でも鮮明に思い出します。川が逆流している様なものでした。

「昭和50年11月土地利用調査」と書かれています。


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