昭和47年(1972年)の切符



 信州周遊券 〕

8月30日から9月5日 

2800円


この「信州周遊券」の旅は、大学で地理学科を専攻していたので、
年に2回程、巡検と言って2・3泊教授と共に地理の現地実習の様な授業があったのです。

巡検は9月早々新学期にあった為巡検の前に私的な旅をしてから巡検先の
”妻籠宿”にいった時の周遊券です。

ちょうどこの時期は第20回のミューヘンオリンピックが行われていて、
長野・善光寺前の旅館でオリンピックを見ていたのを思い出します。

このオリンピックはパレスチナ・ゲリラ5人が選手村のイスラエル選手2人を射殺し、
仲間の解放を要求した事で歴史に残る大会でした!!
(30年以上経った今もパレスチナ問題は何の前進していないですね!!)


( 表 紙 )

(周遊乗車券)

( 裏 面 )

          妻籠宿の民宿前で!! 


宿泊した妻籠宿の民宿前で人文地理学の大村教授
(中央ネクタイ姿)と地理学科の学友達撮った写真です。

この頃は長髪が流行っている時代で、髪の長い男がちらほら見られますね!!

          みんな若かったな〜!!

         今どうしているのかな〜!!
         
        長野駅のきじ焼丼

            (47/9/1調整)

     これもよくぞ残っていたものです!!

素焼きの丼の入れ物が印象的なシンプルでアイデに満ちた駅弁でした。

    250円の値段が時代を感じさせますね
    ちなみに現在は1000円だそうです!!


  

〔 その他の切符  〕

(普通切符)

切   符 切符の種類 切符の特徴 ハマちゃんの思い出
乗車券

6月25日
市川本町から
甲府ゆき

80円
初めて一人で出張に行った時の切符です。
ダム予定地の地図を作る為に、今は有名になった上九一色村と三珠町にまたがる芦川(市川大門町の富士川に合流)の現地調査に行ったのでした。

谷間の日陰の村と云う印象の集落でした。
乗車券

7月15日
帯広から
東京都区内ゆき

3360円

学割(学)印刷済

北海道縦断自転車旅行の帰りの切符です。

今ですと石勝線経由で札幌に出る様になりましたが、この時代は狩勝峠経由で雄大な十勝平野の景色を堪能しながら、列車があえぎながら峠を登って行ったのを懐かしく思い出します。
乗車券・
急行券

5月4日
矢板
東京山手線内

3100円

乗車券・急行券が一緒になっている珍しい切符
栃木県矢板市に、送電線の地図を作る為に行った時の帰りの切符です。

送電線に沿って電線のつながり・電柱番号・電線の高さ等を現地で調査する仕事です。

東京電環から東京山手線内に変わったのがこの頃だったのかも??
乗車券
(伊豆急行)

10月24日
伊豆急下田から
横浜ゆき

820円
日曜日なので社員旅行で行ったのではないかと思いますが、ハッキリしません?
乗車券

10月18日
新発田から
東京都区内ゆき

1470円
新潟県の新発田から超ローカル線の国鉄・赤谷線が走っていました。

この路線は赤谷鉱山(鉄鉱石)を運ぶ為に出来た鉄道で、廃坑と共に役目を終え、昭和59年に廃線になりました。

この赤谷地区の地図を作る為に行った時の切符です。
乗車券

11月1日

(京成電鉄)

柴又→30円

自動販売機でのはしりの切符です!1
この頃「男はつらいよ」の映画が大ヒットし、私も毎回映画館にせっせと通った者の一人でした。

映画の舞台となった”柴又”に行った時の切符です。


(急行券・特急券)

切   符 切符の種類 切符の特徴 ハマちゃんの思い出
特急券
寝台券

7月2日

電算打出し切符

ゆうづる4号

上野から
青森ゆき

2300円

横浜駅発行
学校の夏休みを利用して北海道縦断自転車旅行に出かけた時の切符です。

函館から宗谷岬までの約700kmを一週間をかけてさわやかな風をきりながら自転車で走りきったのでした!!

この当時は今に比べたら自動車の量ははるかに少なかったですが、長距離トラックが多くまた道が良かった為、猛スピードが走って来るのがとても怖かったのが思い出されます。

途中の道北の「音威子府」辺りでは日は暮れるは、腹は空くはで心細かった中を豊富温泉まで走ったのを懐かしく思い出します。

”五感”で北海道の大自然と人々の心の暖かさを感じ取った旅でした!!
特別急行券

7月17日
電算打出し切符

おおぞら2号

帯広から
函館まで

1000円

稚内駅発行
自転車旅行の帰りの切符です。

稚内から国鉄の天北線経由で旭川に出たのは覚えているのですが、その後どの様なルートで帯広まで出たのかは記憶にないのです。

函館からは青函連絡船で青森に渡った事でしょう。
急行寝台券

7月17日

(呼び方が急行と寝台が一緒になっていますね)
電算打出し切符

十和田5号

青森から
上野まで

1400円

稚内駅発行
急行寝台列車が華やかな時代の急行「十和田」号で私の好きな列車の一つです。

この時代の夜行列車は長距離移動の主役でした。

航空機での移動はやはりまだまだの時代で、私もこの時点でも飛行機に乗ったことはなかったです。

実際に始めて飛行機に乗ったのは翌年の昭和48年、仕事で羽田〜千歳間でした)
急行券

11月19日
伊東→100Km

100円

伊豆急発行の国鉄区間の急行券
記憶にありません。
急行券

12月6日
新発田→100Km

100円
上記の赤谷地区の現地調査からの帰りの、新潟までの急行券です。


切   符 切符の種類・特徴 ハマちゃんの思い出
特急券
12月6日

とき6号
新潟→上野

800円
新幹線が出来るまでは上野と新潟を結ぶ特急は"とき”でした。

今は”あさひ”となりましたがやはり”とき”の名称が一番似合っていますね。

新潟地震の時、運休中の特急”とき”の写真が見つかりました!!

どこに運休中は何処に特急”とき”はいたと思いますか?

北海道自転車縦断旅行


函館・五稜郭にて(出発地)

稚内駅前にて(終着地)
この後宗谷岬まで行く!!

新潟地震の運休中の特急”とき”


161系の先頭車両
ホームの電柱に「かまくら」の駅名が書かれています!!
           新潟地震

昭和39年6月16日新潟県粟島沖の日本海を震源とするマグチチュ−ド7.2(新潟市で震度5)の大地震が発生し、大きな被害が出て鉄道も22日にやっと臨時列車が新潟駅に乗り入れ出来るまで不通となりました。

この年は10月に東京オリンピックが開催された年であり、同じく10月に東海道新幹線が開通した年でした。鉄道にとっては大きな変革の年でした。

   鎌倉駅に特急”とき”が登場!!

当時”ハマちゃん”は鎌倉にある中学校(3年生)に通っていて、通学途中の鎌倉駅にある日突然特急電車が止まっているではありませんか!!

ここは横須賀線で特急電車は見ることがあるはずはありません。きっと翌日カメラを持って来て撮った写真だと思います。

今良く見ると前と後では車両形式が違うではありませんか?横須賀寄りの車両が本来の特急”とき”の車両である161系先頭車両、東京寄りがなんと準急”日光”に使われていた157系電車が写っているではありませんか。

調べてみるとこの年の4月に東海道線で特急”第一富士”がダンプカーと衝突し車両が大破、その代わりとして特急”とき”の先頭車両を含む3両が使われる事になり、特急”とき”の方は準急”日光”に使われていた157系の車両を連結していたとの事です。異なる形式の電車が混合で編成されている大変珍しい写真となりました。

当時花の東海道線の特急列車を最優先に物事が進んでいった事が良く判りますね。特急”とき”はその時代の犠牲者でもあったのでした。

新潟地震の時、特急”とき”が運休していた期間(6月16日〜6月26日)なんと鎌倉駅構内の側線に置かれていたのでした。たぶん他に係留線が無かったのでしょう。なおこの列車編成で運行されたのはこの年の5・6月の2ヶ月だけだそうです。

157系の先頭車両
懐かしい70系横須賀線電車と一緒の写真
また真中にトンガリ帽子の旧鎌倉駅舎が写っていますね!!


         

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