昭和44年(1969年)の切符
切 符 | 切符の種類 | 切符の特徴 | ハマちゃんの思い出 |
乗車券 2月9日 |
乗車・下車駅 記載切符 鎌倉⇔大船 20円 2等記載 |
これと言ったハッキリとした記憶が無いのですが、たぶん専門学校の卒業を目前にして、友人を案内して鎌倉見物(母校が鎌倉に有り)に行った帰りの切符ではないかと思います。 運賃が20円とは今ではなんと安かった事でしょうね!! コロッケ一個5円の時代でしたから。 まだ横須賀線の電車の車内は木製で、床には油の匂いがしていた、懐かしいのどかな時代でした。 |
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乗車券 3月12日 |
乗車駅名を中心に書き、下車駅を全て記載した切符 府中本町から 110円 2等記載 |
なぜ「府中本町」に行ったかは記憶にはありませんが、専門学校が小平にあったので卒業近くで、友人と立川(下の切符)府中周辺を何かを見に行ったのでしょう。 「府中本町」と言えばこの切符の三ヶ月前に”三億円事件”がこの府中で起こったばかりの頃でした。 今は武蔵野線との乗り換え駅としてにぎやかですが当時はさびしい駅でした。 |
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乗車券 3月12日 |
地図式切符です。四方向に行ける駅名が記載されています。 立川から 20円 2等記載 |
この切符も上の時と同じ日です。 立川と府中本町はかなり近くの駅なのに、切符の表示形式が異なるのはどの様な理由があるのでしょうか? |
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乗車券 3月23日 |
学割スタンプ付 切符 大阪市内から 東京都区内 1730円 2等記載 |
この年の選抜高校野球にわが母校が出場した。たしか入場式を見に行って、帰りの切符だと思います。 夜行列車で行って甲子園に着いたが、すでに満員で球場内には入れず、雰囲気だけを味わってきた事がおもいだされます。 ちなみに母校はこの時の甲子園出場を最後に以後甲子園の土を踏む事がなくなってしまいました。 |
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乗車券 4月29日 |
地図式切符 浜松町から 20円区間 2等記載 (等級記載 最後の切符) |
この年の4月に航空測量会社に就職したばかりの頃の切符です。 天皇誕生日なので私用で出かけたのでしょうが記憶がありません。 たぶん「浜松町」駅なのでモノレールで羽田空港に行ったのかもしれませんね? |
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乗車券 6月22日 |
矢印切符 北鎌倉⇒30円 等級表示が無くなっています!! |
この年の5月10日に国鉄では等級制度が廃止されました。廃止後早々の切符です。 北鎌倉にはたぶん卒業した高校の文化祭に行ったのではないかな? 横須賀線には一等車(緑線が書かれていた)が2両連結されていて、座席には白色のカバーの掛けられていていつかは乗ってみたいと思って、いつも通学していました。 |
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急行券 寝台券 11月4日 |
おが3号 大曲から上野 (神宮寺駅発行) 急行B寝台車 (2等からBに等級表示が変わっています) 下段 1500円 |
会社に入って初めての地図を作る為の出張しての帰りの切符です。 この時の一番の思い出は田沢湖から流れている玉川の抱返り渓谷の紅葉のすばらしかった事です。 エメラルドグリーンの川と赤・黄色の紅葉のコントラストが見事この上有りませんでした!! 川沿いの朽ち果てて今にも崩れそうな枕木が残っていた森林鉄道跡を水準測量した事が思い出されます。 |