ハマちゃんの入院記
8月19日(土) 必要最小限な荷物を持って9時過ぎに病院に到着。驚いた事には入院病棟はなんと17階との事!(そんな高層階で大丈夫なのか?一瞬心配しました!)
病室に案内され看護婦さんから入院生活の説明を受け、腕に名前バンドを装着した(これは退院当日まで続く。なお記念品としてもらって来ました)。
          
今日・明日と特に予定が無いので外泊してもよいですよとお話で、月曜の朝に戻る事にした直後検温で37.2℃と驚くべき数字を見て急きょ取りやめとなりそのまま入院第一日目を過ごす事になりました。
8月20日(日) 今日は何の予定もないとの事で一日読書三昧!しかし何回検温しても37℃から下がらない!看護婦さんの話によると環境が変わると、緊張して体温が上がる事もあるそうで、きっと綺麗な看護婦さんに脈を診てもらっているから上がったのでしょう!17階ロビーから夕焼けの東京タワーを眺め、ひと時のホテル宿泊気分を味わいました。
            
8月21日(月) 手術前日!今日は予定がぎっしりだ。まず看護婦さんから手術準備についての説明があり、その後担当医の教授よりMRI画像を見ながら丁寧な説明をしていただきました。  
夕方になってから麻酔医の先生より麻酔についての説明があり、一通りの話を聞き終わると何だか怖くなります。(全ての可能性ある症状を聞かされる為)9時より一切の飲食禁止となり、睡眠薬を飲んでベットに入ったが中々寝られずに時間だけが過ぎていく。 
(手術箇所の悌毛は手術当日麻酔をかけられてからやられた様で全く記憶にありません)
8月22日(火) 手術当日!8時までに手術着に着替え、生まれて初めてストッキングをはく事に!(手術中長時間静止している為血栓が溜まるのを予防する目的だそうです。)とても他人には見せられる姿ではありませんでした!!
                
8時半過ぎにベットごと病室を出て一路手術室へ。17階からエレベーターで3階に降り迷路の様な通路を通り手術室に入った!(その間不安感・恐怖感は不思議な事に襲われる事は無かった)手術室に入って病室のベットから手術室用のストレッチャーに移され、麻酔をしますよと話かけられマスクから麻酔ガス?を吸わされ、あっという間に記憶が全く無くなりました。(前日までは果たして麻酔が効かなかったらどうしようと思っていたのがうその様に良く効きました!)

そして気が付いたらICUのベットで看護婦さんから名前を呼ばれ”はっと”目が覚めたのでした。(まるでマジシャンに催眠術をかけられた状態と同じ感じなのでしょうか!?)それまでは痛みはなにも判らなかったのがその時点から手術の傷口の痛みを感じる様になり、座薬を入れてもらってかなり痛みが和らいだ。またやたらと口が渇いてしょうがないので水を口に含ませて貰ったのだが、少し飲んでしまった。(本当はまだ水分は飲んではいけないのだった!)
                 
体には点滴・心電計・脈拍計・尿管・酸素マスクが繋がっていて、あまり体の自由が無い状態でまるでテレビドラマの主人公になった気分だが、やはり痛みはつらい!!ICUの中はかなり室温が低く手術着一枚で風邪をひいたのか、傷口からなのかは判らないが熱が出たらしく寒気がして電気毛布をかけてもらったり、氷枕をしてもらったりで言いたい放題な我がままな患者でした。(ごめんなさい)この状態で夜を迎え、睡眠薬入りの点滴をしてもらったが殆んど眠れない夜を過ごした。
8月23日(水) 夜中ICU内では老人が突然大きな叫び声を発したりしてかなり修羅場状態でした。10時ごろ病棟に帰りまずは無事生還しほっとしました。しかし点滴・尿管はまだ引続き中で頭痛・目痛や熱も37℃後半を行ったり来たりで相変わらずでしたが気分的には楽になりました。
午後から水分も少量取れる事になり、夕食も今日から出るとの事でしたが実際に食べ始めてみましたが、とてものどを通りませんでした。やっとの事で味噌汁とお粥を少々を食べただけで片付けてもらう状態でした。(給食室のみなさんごめんなさい!)
8月24日(木) 10時頃先生の回診で尿管を取ってもらった。これで歩く事が許され一人でトイレに行ける様になりました。11時頃初めて恐る恐るベットから降りて点滴棒につかまりながらトイレに行けるだけで希望が湧いて来るようでした。また先生が傷口もきれいだよとのお話でこれも一安心する材料になりました。
                  
傷口(約5cm)の消毒は沁みるのではと恐ろしかったですが実際には一切沁みる事も無いのにはびっくりしました。(傷口にはテープの様なものを2〜3日貼ってあるだけでした。また抜糸をする必要はないと事でした。)食事(普通食)も今日から完食出来る様になり熱・痛みはあるものの少しづつ和らいでいっている様でした。
8月25日(金) 今まで傷口の消毒の後テープを貼っていたのが今日からは消毒だけでOKとなった。そのままベットに寝たら枕に消毒液がついてしまったが大丈夫らしい。睡眠薬のおかげか夜も1回目を覚ます位で熟睡できる様になってきた。(今までの睡眠不足の反動かも?)便通もあり腸の働きも活発になって来たようだ。
点滴も2種類(抗生物質と栄養剤?)が続いている。熱は朝一旦下がるが日中から夜にかけて徐々に上がって37℃後半になってしまい、体温を測るのが気が重い。
8月26日(土) 17階の病棟内を自由に歩いて良いとの事でさっそく点滴棒を押しながら散歩する。傷口を見せびらかせてさっそうと?歩いてみたが他人が見ると痛々しいかも?!また食事もロビーで食べる事にした。
                 
癒しのCD音楽を聞きながら、堂々と建っている東京タワーに励まされながら食べる食事の味は格別なものがありました。特に暮れ行く夕日に映える東京タワーは刻一刻情景が変化していきすばらしいかった。(少しは気持ちにゆとりが出て来た証拠か?)
8月27日(日) 午前中の検温が平熱になるが午後はやはり37℃を越えるがあまり気分的には悪くない。今日からは傷口の消毒もなくなり、点滴も抗生物質の1種類だけになった。
          
熱が少しある為まだ止められない様だ。午後見舞いに来てくれて友人とロビーで久しぶりに長話してしまって、その後頭痛が復活してしまった。やはり無理が利かない様だ。
8月28日(月) シャワーに入って良いと言われていたのですが、午後熱が上がるのでちょっと入る気分になれなかったのですが、さすがに手術時頭毛につけた消毒液が固まってごわごわして気持ち悪く、遂に今日シャワーに入ることにした。
                   
点滴用のジョイント器具が腕に付いている為看護婦さんにビニールを巻いてもらいシャワー室へ。さすがに頭をシャンプーする時は恐る恐るごしごしして初めて傷口をさわってみた。しかし沁みる事も痛みもなくほっとして頭すっきりしました。生き返った気分でした。
8月29日(火) 術後初めてMRI撮影しに一人で2階のMRI検査室に行く。入院前に撮った時はあの音に悩まされたが、今回は音がし始める時に一言声を掛けていただいたせいか、はたまた手術が無事終了した後のせいか落ち着いて検査する事ができました。
それにしてもあの騒音的な音はどうにかならないのでしょうか。でも痛いおもいもしないで短時間で詳細な検査が出来る事に感謝しなければならないのでしょう!?
8月30日(水) 今日から尿量の計測の必要がなくなり回数の記録だけで良くなった。どこのトイレでも用を足す事ができてまた気持ちが軽くなった。また点滴(抗生物質)が終了し〔微熱がなかなか下がらなかった為長かった〕、腕から点滴ジョイントも外してもらって一段と身軽になって、病院内での行動範囲が自由になりました。
さっそく1階に下りて正面玄関へ、入院以来初めて外の空気を吸うことができました。なんと云っても空気そのものより”肌にそよぐ風”を感じた瞬間が一番気持ちの良い瞬間でした。
8月31日(木) 10時頃先日撮影したMRIの結果説明が17階ナースステェーションで担当医の先生からありました。幾分緊張面して術前術後のMRI画像を見て詳細な説明を受けるが、実は見てもよく理解できなかったのです。結論としては手術は成功し空洞も縮小し、よって何時退院しても良いとの事。後は今残っている筋肉を鍛えて筋力を落とさない様にとの事でした。

急な事で明日退院する訳にもいかず明後日退院する事にしました。午後は入院以来初めての入浴をした。これでビールがあれば最高の気分でした。(まだ頭痛・目痛は完全には治ってはいないのですから無理ですね!)
9月1日(金) 明日退院と云う事でいつの間にか増えた品々の整理をし、地下売店にてダンボール箱を買って来て発送準備万端!!特に予定がないのでひたすら病院内を散歩と称して徘徊して廻ったり(外来棟にスターバックスが出来ていた!)、17階ロビーでCD音楽を聴きながら東京タワーを眺めて癒しのひと時を過ごしました。

散歩ついでに16階に立ち寄ったら(16階が本来の脳神経外科病棟なのでした)頭を押さえながら歩いていた女性がいたのでもしかしたら空洞症の人かと直感し声をかけましたらやはり29日に手術した方でした。ちょっと先輩ずらしてがんばりましょうと話て別れました。(後日インターネットの掲示板で発見し無事退院された事を知りました。若い人は回復が早いですね!)
9月2日(土) いよいよ退院当日を迎え朝からそわそわ、最後の食事をし毎回その度に書く感想用紙に感謝の言葉を書いき、会う看護婦さんごとにお礼をいったりと落ち着かない時間を過ごした。会計の精算(カードで精算できるので便利になりました)をし11時前に2週間過ごした病棟を後にしました。(もっと人生観が変わるかと思っていましたが、人間が出来ていない為か何の影響もなく終わった次第でした!!)
              

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